穆佐城
むかさじょう



所在地:宮崎県宮崎市高岡町小山田
最終更新日:2017.10.17

   
<2017.10.17記>
穆佐城は国史跡にも指定されている、この地域を代表する城郭なのですが、そもそも土地勘がない私には何と読むのかすらもわかりませんでした。「むかさじょう」と読むんですね。このお城。で、次なる疑問は何が国史跡となる決め手だったのか、ということ。何しろそれまで全く知らないお城だったので、とにかくも行ってみることにしました。
この穆佐城、先達のサイトには「穆佐小学校の裏山を登る」と書かれています。また、穆佐小学校の近郊の道端にも穆佐城を示す看板があると。国史跡でもあるのだから案内板も沢山あるだろうという比較的甘い考えもあって、穆佐小学校についてあまり深く考えもせず、カーナビで「穆佐小学校」を選んでほどなく到着。ところが穆佐小学校の裏山は、到底登れそうな山ではないんですね。低い山なのですが、道がない(笑)。それに山の裏側をすぐ車道が走っていて、お城を乗っけるスペースがない(笑)。穆佐小学校の反対側にある山の方がはるかにお城らしい形をしているんだけど・・・と思いながら彷徨うことしばし。あまりにも見つからないので諦めかけたその時、電撃のように、あることに閃きました。
「穆佐小学校が移転している!」
学校を目印にしていたお城で、当の学校が移転しているという点では茨城県の志筑城なども同様なので、あり得ない話ではないのですが、心のどこかで「学校は動かないもの」という固定観念があるらしく、目の前にずっと見えていた施設が「旧」穆佐小学校であるということに気がつくまでに、実に30分近い時間を要してしまいました。なんたることか。
回転の悪い頭を呪いながら穆佐城内へと入ります。と、城域の中央を東西に大きく貫く空堀と、森に包まれた静寂で荘厳な城郭がすぐ目の前に現れました。言葉で言い表すのが難しいのですが、結論から言うと、穆佐城は美しいお城でした。建物も、周囲を圧するような深い堀切もありませんが、整然と区画された土の城が、まるまる森の中で眠っている感じ。石の城でも土の城でもその縄張や造形が優れているお城は「美しい」と思えるものですが、穆佐城はまさしく「美しいお城」です。
ところで、穆佐城は南北朝時代から歴史の表舞台に登場しています。宮崎県ではちょいちょい伊東氏と土持氏の名前が出てくるのですが、穆佐城は南朝方伊東氏の持ち城で、それを北朝方の土持氏が攻略したという記録が残されています。城代として畠山氏が在城していたこともあるようで、更には島津本家が陣取って第9代当主・忠国はこの城で生まれたとか、そのくせ伊東氏に持っていかれて「伊東四十八城」のひとつとして機能したとか、何しろ華々しい歴史を持ったお城です。この美しさにしてこの歴史あり。なるほど。国史跡になるのも大いに納得です。
ランク 国史跡、宮崎県7位
土塁、堀
創築:建武2(1335)年頃、伊東祐広
伊東氏、土持氏、畠山氏、島津氏
アクセス   穆佐小学校を目印にすればよいと思うのですが、古いサイトの案内にある「穆佐小学校の裏山」ではなく、「穆佐小学校の向かい」にある廃校(旧穆佐小学校)を目指し、その裏山へと足を運びましょう。よく整備された山道が城内を巡っています。車は廃校となった旧穆佐小学校に停めておくことができます。


穆佐城フォトギャラリー





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