淡路城
あわじじょう

(宮崎県西臼杵郡高千穂町)
最終更新日:2016.8.11

地図

<2016.8.11記>
神々の郷、高千穂への旅は、お城に寄らない旅となりました。寄り始めると際限なく立ち寄りはじめてしまうので(笑)。
高千穂の町で高千穂牛を食べながら、高千穂高校の背後に広がる丘を
「ああ、あれが淡路城かあ」
と眺めたのが、お城を考えた唯一の機会だったかも。
Data
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創築:不明、三田井氏
三田井氏
西臼杵一帯を領した三田井氏は鎌倉以来脈々とその血筋を伝えた高千穂氏の惣領家なのだそうで、周囲から隔絶された高千穂という地勢もあって、大きな波乱もなく高千穂の地を守り続けました。
波乱が起きたのは戦国末期も末期。豊臣秀吉の九州仕置の後、三田井氏の処遇が明記されなかったことが原因で、高千穂は新領主・高橋元種と本来の領主・三田井親武との間で当然のごとく争いが起きます。
高千穂には「三田井四十八塁」と呼ばれる城塞群があります。詳しく調べているわけではないのですが、鎌倉以来の支配領域を理不尽に奪われることに強い憤りを感じた三田井氏が、強力な防御網を築いたということなのでしょう。
淡路城はそんな三田井四十八塁のひとつで、高橋元種によって攻め落とされ、廃城となったもののようです。現在の高千穂高校の裏山一帯が城跡で、道の駅高千穂の近くの国道沿いにも案内標識が出ていますが、現地に赴いていないので遺構を確かめることはできませんでした。





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