多賀城
たがじょう



所在地:宮城県多賀城市市川城前
最終更新日:2018.3.3

   
<2011.8.3記>
大和朝廷の北の備えとして、かつまた陸奥国府として、南の大宰府と並び立つ存在だったお城・・・というより政庁の跡です。中心をなす礎石建造物の周囲を、叩き上げた築地塀が巡り、更に大きく不整形の堀で囲んだ形態だったようです。10世紀頃から政庁としての機能は停止し始めるようですが、東北地方で勃発する各種の兵乱(前九年の役、後三年の役など)には必ず名前が登場します。また、南北朝時代にも陸奥将軍府が置かれた場所として多賀城の名が出てきますから、相当長い期間、断続的に使われていたものと考えられます。
現地には日本三大古碑(あとのふたつは那須国造碑、と多胡碑)に数えられる「多賀城碑」が残されている他、部分的に築地塀等が復元されています。また、過去の発掘の成果を近隣の東北歴史博物館で見ることができます。なお、古代を代表する「城郭」として、日本100名城にも選定されています。
同期入社の同僚宅に泊まらせて頂き、翌日にそのご家族と一緒に訪れたのがこのお城。「行きたいところ、ある?」との問いかけに、即座に「多賀城」と答える私も私ですが、それに応えて家族4人で付き合ってくれた同僚夫妻には本当に感謝です。小さな二人の娘さんが、政庁跡の礎石を巡って走り回る姿が、私のカメラに記録されています。つい数年前まで机を並べていた同僚が、次の世代の親になっている不思議さを思いながら、家族の素敵さや素晴らしさを実感し、ちょっぴりほろりとした場所となりました。
肝心の城跡はというと、復元されたはずの土塀が早々に土に還りはじめていて、あと数年もすればもとの平地に戻るのではないか・・・といった印象でした。あれからまた10年近くが経過し、今ではどんな姿になっていることでしょうか。多賀城も、同僚の家族も。

<2018.3.3記>
久々に訪れた多賀城は、最初に見た時よりも調査範囲が広がっていて、片手間では見て回れないくらいにあちこちに遺構が現れていました。政庁前の直線道路も復元されましたが、高低差などもまるでお構いなしにまっすぐ作られているんですね。この強引さというか、意地でも規格に収めてやろうという無鉄砲さが、いかにも古代城柵な感じです。それにしても直線道路といい、外郭の築地塀といい、本当にひとつひとつの遺構が大きいです。こんな大きな施設が平城京や平安京からはるか離れたこの場所に築かれていることに、朝廷の蝦夷統治に対する並々ならむ意欲が感じ取れるような気がします。
ランク 特別史跡、100名城
土塁、堀
創築:神亀元(724)年、大野東人
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アクセス 公共交通機関なら、JR東北本線の国府多賀城駅からすぐです。車でもまず迷うことはないと思いますが、多賀城政庁のすぐ北側にガイダンス施設があって、そこの駐車場を利用するのが便利です。また、南側の多賀城碑の更に南側にも駐車場があり、どちらの駐車場にもトイレがついています。


多賀城フォトギャラリー





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