松阪城
まつさかじょう



所在地:三重県松阪市殿町
最終更新日:2020.6.17

この地域に最初に城を築いたのは織田信長の次男である織田信雄でしたが、信雄のいた松ヶ嶋城は海に近すぎると判断した蒲生氏郷が、松ヶ嶋城を廃して改めて現在地に城郭を築きました。それがこの松阪城です。総石垣の近世城郭としては比較的古い部類に入るこのお城は、いかにも古めかしい石垣に囲まれています。他の主な近世城郭よりも20年くらい古いものであることを考えれば、また一層味わいが増すことでしょう。特に本丸天守台あたりの石垣はなんともいえない味があります。
蒲生氏が会津に去った後、服部氏、古田氏と続きますが、古田氏が浜田に移封された後は紀州徳川藩領となって、松阪城には城代がおかれ、そのまま明治に至ります。三の丸にある「御城番屋敷」は、完存する現役の武家長屋として、大変貴重な存在です。

<2002.2.4記>
津山城ほどの迫力はないにしろ、このお城の石垣はなかなかのものです。丸い石がよくもこんなにしっかり組み合わさっているものだと感心させられてしまいました。出入口が多いのも特徴で、同じところに二通りの行き方で辿り着けます。
天守台でふと見つけたのが、「古墳の石棺」。「まさか」と思ってじろじろ見たのですが、やっぱりどうみても石棺のフタです。あとでものの本を読んだら、「少なくとも3箇所に石棺が使われている」とのこと。これまたびっくり。
安易に復元建物がたっていないことや、適度な荒れ具合がなんともいえず好印象でした。

<2010.2.13記>
蒲生氏郷という傑物についての本を何冊か読むにつけ、松阪城というものの歴史的な価値が次第次第にわかってきました。2002年当時の私は、秋田書店の「日本名城100選」の選に漏れたお城を軽視する傾向が強かったように思います。江戸時代、紀州藩の支城(つまり独立藩のお城ではない)だったあたりも印象が悪い要因かもしれません。今は少なくとも自分の目で見て(あるいは調べて)、「よい」と思ったお城が「よいお城」だと思うようにしていますが、松阪城に関してはそんなに力まなくてもちゃんと「日本100名城」にも選ばれましたし、文句なく「よいお城」だと思います。あ、あと、「百間長屋」が国指定の重要文化財になったんですよね。これを城郭建築として重要文化財指定のお城の数にカウントするかどうかでいつも迷います。

<2020.6.17記>
松阪城下にある御城番屋敷は一部が公開されています。松阪城から見ても、航空写真から見ても異様に目立つこの長屋は、単純な足軽長屋ではありません。そこには深くて長い歴史がありました。御城番屋敷の居住者は「田辺与力」と呼ばれた集団で、もともとは「横須賀党」という一団でした。横須賀党は現在の静岡県掛川市にあった横須賀城(お城好きの間では「丸石垣の城」として知られる、あのお城ですね)周辺を出身地とする人々で、野戦に強い徳川軍にあって常に先方集団を任されるという過酷にして名誉ある役割を担っていたそうです。そんな横須賀党ですが、徳川頼宜が駿府から紀州に移った際に紀州に移住し、紀州藩の附家老であった安藤氏(田辺城主)に与力として付けられます。だから「田辺与力」と呼ばれるんですね。
でも・・・横須賀には横須賀藩もあるのに、横須賀党がなぜ田辺与力になったのでしょう?
徳川頼宜が駿府から紀州に移転したのが元和5(1619)年。横須賀藩は藩主の大須賀忠次が本家の榊原家を継いだことにより一時廃藩となり、近隣の掛川藩が横須賀城の接収を行っています。この時の掛川藩主が後に徳川頼宜の附家老になって一緒に紀州に移った安藤直次なので、この関係で横須賀党は紀州に移り、安藤氏の与力となったのではなかろうかと推測しています。そんな田辺与力は徳川将軍家直参の身分だったわけですが、ある時突然、安藤氏の家臣になるように命令を受けます。幕府直参から紀州藩でもなく附家老の家臣となれば二階級の降格に等しいわけですから、田辺与力としては到底受け入れられる条件ではありません(もっとも、もともとの経緯から田辺与力が他の紀州藩士よりも高い処遇を受けていたことが紀州藩士の反発を買っていたという側面もあるようですが)。拒絶したところ今度は「クビ」ということになり、田辺与力はしばし流浪の民となりました。今でいうところのパワハラに近い扱いを受ける中で、田辺与力はせめて紀州藩への帰属をと再三申し入れ、これが受け入れられて松阪城の御城番を拝命することとなり、松阪城下に屋敷(長屋)が設けられました。これが現在の御城番屋敷です。驚いたことに現在でも田辺与力に繋がる方々がこの長屋にお住まいなのだそうで、そういう意味でもここは全国でも稀に見る「現役の」武家長屋なのです。田辺与力を巡ってはいろんな見方があるのだろうとは思いますが、静岡出身の身としては横須賀から出た皆様が徳川家康以来の誇りを忘れず、今も大切に御城番屋敷を守っていらっしゃることに畏敬の念を禁じ得ません。
Data
ランク 国史跡、100名城、百選、こんな城、三重県3位
石垣、堀
創築:天正12(1584)年、蒲生氏郷
蒲生氏、服部氏、古田氏(松坂藩、55000石)
松阪駅からも歩けますがまっすぐには辿り着けないので、随所にある案内標識に従って進んで下さい。車も案外やっかいで、お城のすぐ近くには駐車場がありません。隣接するグラウンドのところにある松阪市駐車場が最寄りとなりますので、素直にそこを目指しましょう(私は何回もお城の周りをぐるぐるしました)。
100名城スタンプは、城内の本居宣長記念館に設置されています。


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