桑名城
くわなじょう

(三重県桑名市)
最終更新日:2010.2.13

地図

<2002.2.24記>
屈指の大城郭でありながら、どうやら城下の人々にはあまり愛されなかったようで、石垣は四日市の港の石材となり、親水公園のような風情になっています。津城、松阪城と、迫力ある石垣を眺めてきた後ではどうしても淋しい気分にはなってしまいます。わずかに残った石垣が、お城好きの心をわくわくさせてくれるのではありますが。
お堀にかかる橋の上ではカモメの餌付けをしていたり、お堀端ではカモがとことこあるいていたり、城内では寄り合いのようなものが行われていたり、この場所も今は今なりに、それなりに周囲に溶け込んでいるようでした。
Data
ランク 「三重県6位」
櫓(再建)、石垣、堀
創築:慶長6(1601)年、本多忠勝
本多氏、松平(久松)氏、松平(奥平)氏、松平(久松)氏(桑名藩、60000石)
現在の桑名城の姿の基を築いたのは、関ヶ原の戦いの後にこの地に封じられた徳川四天王の一人、本多忠勝。東海道の桑名の渡しの発着点を睨みつける形で海沿いに築かれていることや、本多氏のあとは江戸時代を通じて松平氏が封じられているあたりからしても、その重要度の高さが窺えます。天守のほか、櫓51基、多聞46基が立ち並んだといいますから、広島城もびっくりなくらいの大城郭だったと言えるのではないかと思います。
そんな大城郭も、戊辰戦争で幕府方に回ったせいか、明治政府からは「目の敵」みたいな扱いを受けたようで、防波堤築造を名目として、石垣やらなにやら徹底的に壊されました。その際に作られた防波堤が国の重要文化財に指定されていたりします。ちょっと複雑な気分。ただの「池のある公園」みたいにしか見えなくなってしまった桑名城ですが、三の丸の堀には築城時の石垣が残っている他、建造物もちらほらと移築されて残っていたり、海沿いに二層の「蟠龍櫓」が復元されたりと、お城としての「らしさ」は随所に感じることができます。個人的には本丸に残る、水面すれすれの石垣が、それはそれで結構好きだったりします。


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