伏見城
ふしみじょう



所在地:京都府京都市伏見区桃山町
最終更新日:2017.6.25

   
<2017.6.25記>
出張ついでのほんのちょっとの空き時間を突いて、京都駅から奈良線に乗り込み、伏見桃山城を見てきました。キャッスルランドも閉鎖されてしまいましたし、まがい物ながら豪壮なこの五重天守も、いつまで存在し続けられるか怪しくなってきましたので、見られるうちに・・・と思ったのですが、そこはそれ、何しろ出張の合間。あたりはどんどん暗くなり、おまけに雨まで降ってくる始末。
伏見桃山城まではたどり着いたものの、雨足も強くなる一方だったので、北堀までの進軍を諦め、桃山駅へと引き返しました。
伏見城といえば豊臣秀吉、なのですが、歴史上「伏見城」と呼ばれたお城は少なくとも三つ存在します。秀吉が作ったものはそのうちの二つ。指月伏見城と木幡山伏見城。木幡山伏見城は関ヶ原の戦いの前哨戦で派手に落城しており、その跡地に改めて徳川家康が築いたのが徳川伏見城。後に明治天皇が眠られることとなり、立入禁止となった伏見城は、基本的にこの徳川伏見城、ということになります。近年、宮内庁の計らいによって城郭研究者が伏見城内への一時立ち入りを許されたのですが、その際の新聞記事によれば、石垣や堀など、当時の遺構がかなり色濃く残されているのだとか。大坂城とともに、天下統一の象徴となったお城だけに、立入禁止となっているのはなんとも歯がゆいですね。
ただ、これだけの大城郭ともなると、隠そうにも隠せない巨大な遺構がちらちら見え隠れしています。例えば桃山駅から伏見桃山城に向かう途中の坂道では、道の右側の森の中に巨大な堀が横たわっているのを(見えなくても)感じることができます。お城由来ではないかと思わせる石があったりもします。もちろん北堀公園は堀そのものですし、気合を入れて周囲を探したらまだまだいろんなものが見つかりそうな気配です。
伏見城は、移築された建物が多いことでよく知られています。豊臣時代の伏見城は豪華すぎて壊すには勿体ないから、また徳川時代の伏見城は伏見城の存在意義がなくなった(京都に武家の政治拠点は必要なくなった)ことを知らしめるために、それぞれ積極的に移築されたのでしょう。伝承を含めると、両伏見城からの移築建造物はかなり沢山あります。現存するものでは豊臣伏見城から運ばれたとされる御香宮神社表門や西本願寺唐門、徳川伏見城から運ばれたことが証明された福山城伏見櫓などが代表例ですね。江戸城と大坂城には伏見城からの移築ではないのに伏見櫓という櫓があります。江戸と大坂、政治・経済の二大拠点に「伏見」が存在していることが重要だったんですよね。たぶん。
ランク 100選
天守(模擬)、櫓(移築)、門(移築)、石垣、土塁、堀
創築:文禄5(1596)年、豊臣秀吉 改築:慶長7(1602)年、徳川家康
豊臣氏、徳川氏
アクセス 伏見城の本丸には入れませんので、何はともあれ「伏見桃山城」を目指すより他にありません。伏見桃山城には広い駐車場もついてます。また、伏見桃山城から北堀公園に抜ける道もありますので、見学可能なエリアを散策するにはなんだかんだと便利です。


伏見城フォトギャラリー





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