鷹ノ原城
たかのはらじょう

(熊本県玉名郡南関町)
最終更新日:2016.3.5

地図

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<2016.3.5記>
南関町(なんかんまち)のど真ん中にある鷹ノ原城(南関城)には、南関町公民館に車を停めて「豊前街道南関御茶屋」を通って裏山に登るのが一般的なルートです。私が訪ねた時にはちょうど小学校の御茶屋見学かなにかがあったようで、御茶屋は小学生がごった返していました。で、その大集団を迂回するような形で(結果的に御茶屋をスルーして)、鷹ノ原城へと足を運びました。
台風被害のあった直後だったようで、西南戦争の戦没者墓地のところにも倒木がありましたが、よっこらしょと通り抜け、鷹ノ原城の城域へと突入。
するといきなり枡形虎口跡の石垣に出くわします。その先には、写真でよく見る「破城の跡」が。
枡形の石垣も主郭城壁の石垣も、天辺から半分以上の石垣が崩されていますが、残された石垣は熊本城宇土城に勝るとも劣らない、堂々たるもの。勝手な想像ですが、ここにも熊本城と同じような、黒っぽいカッコいい建物が林立していたことでしょう。半分以上崩された石垣を眺めながら、その姿を想像するだけもわくわくもの。
石垣検出のニュースを知ってから相当時間が経ってしまいましたが、行ってよかった!と思えるお城でした。
Data
ランク -
石垣、堀
創築:慶長5(1600)年、加藤清正
加藤氏
肥後国人一揆によってこの地を収めていた国衆の大津山氏が滅亡した後、大津山城に入った加藤清正の城代・加藤正次が慶長5年頃に新たに築城願いを出し、加藤清正によって築かれたのが鷹ノ原城です。大津山城も相応に織豊系城郭としての体裁を整えられていたと推測されますが、ちょっと山が高すぎるのと、山麓の立派な神社が城下町としての求心力形成上の障害になったのではないでしょうか。後々まで南関町の中心となる、現在の南関町役場の裏にある丘陵が新たな城地に選ばれました。
お城は主郭から三郭まで直線距離で500mを数える広大な城域を持ち、丘陵上を堀切で仕切ることにより各郭を構成していました。平成初頭に発掘された主郭からは、完全に消滅していたと思われていた石垣がかなり良好な形で検出され、佐敷城や宇土城などと同様、熊本城を中心とする支城網のひとつとして入念な整備がなされた様子が窺えます。発掘された石垣はそのまま露出していますので、迫力ある石垣とすさまじい「破城」の跡を間近に見ることができます。





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