麦島城
むぎしまじょう

(熊本県八代市)
最終更新日:2013.11.18

地図

<2011.11.26記>
熊本まではるばるやってきて、石碑だけのお城をわざわざ眺めたのは、その石碑の下の土の中に、今でも立派な石垣が埋もれたままになっていることを知ったから。石碑に至るまでの案内板があるわけでもなく、車が入れるような大きな道があるわけでもない、狭い路地のような道の奥にその石碑はありました。
近世城郭として築かれ、大地震で倒壊したまま放置された、麦島城。どこにでもあるような住宅地と、住宅に挟まれた、ちょっとした空地。そんな、本当にどこにでもあるような風景の下に、近世城郭が丸ごと眠っています。それだけでもう、心が震えてくるのがわかります。

<2013.11.18記>
2013年11月15日の文化庁答申で、近隣の八代城とともに、ついに国史跡の指定を受けることとなりました。
Data
ランク -
石垣(ただし埋没)
創築:天正16(1588)年、小西行長
小西氏、加藤氏
天正16(1588)年、肥後国の南半分を領することとなった小西行長は、領地の北寄りにある宇土を本拠地としたが、領国支配のため宇土城の他にもいくつかの城郭を築いています。そのひとつがこの麦島城(もともとこちらが八代城)で、肥後が加藤氏の支配下となっても城郭は存続した。ところが元和5(1619)年の大地震(おそらく津波も到来)により、麦島城のほとんどが崩壊しました。これを受け、肥後藩主の加藤忠広は、現在の八代城の地に新たな城郭の築造を申請し、許可を得て現在の八代城を築きました。これにより、麦島城はほとんど顧みられることのないまま、地中へと埋もれていきました。
平成に入って発掘調査が行われ、天守台の石垣等が検出された他、地震で倒壊したままと思われる櫓の壁面や屋根裏の部材がまるまる残存しているのが発見されました。これを山田寺(奈良県)と同様に「建築物」と見立てれば、麦島城には櫓が現存しており、しかも日本最古級のもの・・・ということができます。





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