津久井城
つくいじょう



所在地:神奈川県相模原市緑区根小屋
最終更新日:2021.4.4
<2012.7.20記>
「津久井城、いいよ〜」と友人に言われて久しくなり、ぼちぼち一度は見ておかなければと、単身とことこ津久井まで出向きました。城山公園としてきちんと整備されているはずなのに、駐車場が見つからずに四苦八苦。津久井城って、こんなにわかりにくい場所だったかな。いやそんなはずはない。そもそもお城は目の前の山にある、ということはすぐそこにある。なのに、駐車場はいずこに・・・?
やっとのことで駐車場を見つけてみると、結構な台数の車が駐車していました。ピクニックができる公園として、綺麗に整備がなされているんですね。車がないとなかなか行かれない場所ではありますが、辿り着きさえすれば、ピクニックには最適な山だと思いました。

注:今は圏央道開通とともに相模原インターチェンジからのアクセス路がわかりやすく整備され、非常に訪れやすくなっています。

お城は山上に行くほどお城らしさを増していくのですが、意外と造作が少ないかな・・という印象です。発掘調査では石垣や石段など、かなりの石製構築物が見つかっているようなのですが、地表面にあるそれは意外なくらいに地味に見えて、お城好みの方でない限り、ここがお城と気が付くことはなさそうです。逆にお城好みの方が見れば、「おお」と思う地形の連続ではあるのですが。
それよりなにより、ここのお勧めは山上からの景色。眼下に広がる津久井湖の眺めはいつみても素晴らしく、四季折々に楽しめそうです。
そんなわけで、すっかりピクニック気分になって、山腹を巡るなだらかな坂を半周回って、麓へと戻ってきたのでした。
津久井城は、鎌倉時代に三浦氏(大江氏とも)の一族である筑井(津久井)氏によってこの地に居館が築かれたのが最初のようです。関東地方では著名なお城ですが意外に史料は少ないようで、後北条氏の時代になって北条早雲の命で内藤氏がこの地を治めるようになるまで、あまり歴史の表舞台には出てこなかったようです。後北条氏の支配下にあっては、甲州の武田氏との接点でもあり、実際に「敵半地」と呼ばれる武田氏(小山田氏)と後北条氏(内藤氏)との二重支配(同じ土地を二重に支配していたのではなく、飛び飛びに武田領と後北条領が入り組んでいた)がなされていた場所でもあります。
そのように難しい場所ではありますが、対甲州という観点でみたら飛び切りの重要拠点であり、内藤氏を中心とする「津久井衆」が編成され、後北条軍団の有力な一勢力と位置づけられました。ところが、この場所がまさに戦線に巻き込まれようというその時、永禄12(1569)年の「三増峠の戦いにおいて、甲州へと撤退する武田軍を挟撃すべく出撃するはずの津久井衆は、武田方によって見事に動きを封じられ、一兵も動かすことができませんでした。三増峠の戦いは武田・後北条ともに犠牲者が多く、なかなかしんどい戦いだったのですが、撤退に成功した武田氏の勝利と見てよさそうな戦いでしたから、津久井衆が戦いに参加することなく戦を終えられてしまったのは、後北条方全体としても痛かったことでしょう。
津久井城は小田原の役の際、徳川軍の平岩親吉の一隊に攻められ、陥落します。それ以後は使われることもなかったようです。
現在の津久井城を見ると、山麓の根小屋が極めて充実していて、平時の居館として十分に発達していたことが伺えます。一方、山上の城郭は山自体が実に手ごろな高さと傾斜を持っていたこともあり、山頂付近で曲輪を削りだしていることの他には部分的な石垣と長大な竪堀くらいしか目立った構造もなく、後北条氏の重要拠点であった割にはシンプルな構造となっているように見受けられます。ただこのお城、積極的に毎年発掘調査が行われていますので、まだまだ新しい発見があるかもしれません。

<2021.4.4記>
手軽に登れる景色のよい山へのドライブ、というテーマで選んだのが津久井城。圏央道のおかげで以前よりも飛躍的にアクセスが容易になりました。実は前回の訪問時には「家老曲輪の石垣」を見つけることができずに(そもそも存在を知らずにw)下山してしまったので、この時には真剣に探しました。で、見つけました。見つけましたが、写真に収めるためには滑りやすい斜面を降りなければならないこともわかりました。山歩きに慣れた方以外にはちょっとお勧めできません。
津久井城は山全体がお城になっていますが、山頂部分と飯綱神社部分という二つのピークの周辺に集中的に曲輪を配しています。山頂部分櫓台付きの重厚な片土塁が目立つくらいですが、飯綱神社側には明瞭な虎口や井戸(泉)が見られるなど、お城としての醍醐味はむしろ飯綱神社側の方に軍配が上がります。飯綱神社側を見た記憶すらなかったので、もしかしたらこの時の訪問が初めてだったのでは?と思ってしまいましたが、あとで写真を見返してみたら初回訪問時にもしっかり見学していました。2回目の訪問で印象ががらっと変わったことになりますが、逆に言うと初回訪問時にはいったい何を見ていたのやら、という感じです。
初回訪問時に見落としたのは石垣だけではありません。このお城を特徴付けるのは山頂近くから山麓までを貫く竪堀。山をぐるっと巡る、緩やかな傾斜の坂道を下っていくと、この竪堀を何本も見ることができます。竪堀と自然地形との区別はお城慣れしている方でも案外難しいところなのですが、このお城の竪堀は実にはっきりしています。攻城兵の横移動を遮断するという目的以上に、山全体を要塞に見せる意味でも重要な役割を果たしたことでしょう。攻め手から見たらものすごく大きくて攻めにくいお城に見えたことでしょうね(そのせいで三増峠の戦いではお城が攻められることさえありませんでしたがw)。
なお、津久井城は遊歩道以外は原則立入禁止です。遊歩道から外れたところにも竪堀群があるようですが、遊歩道以外のエリアは急傾斜でかつ滑りやすく、石垣同様にあまりお勧めできるエリアではありません。本来の大手道も原則立入禁止の範疇です。ただし津久井城では定期的に大手道から登城するガイドツアーが開催されていますので、(こんなご時勢ではありますが)機会を見つけて申し込まれるのも一興だと思います。私も次の機会には大手道から登ってみたいな、と思っています。
Data
ランク 神奈川県2位
石垣、土塁、堀
創築:鎌倉時代、津久井氏、改築:内藤氏
津久井氏、内藤氏
橋本駅から津久井湖方面(津久井城山公園方面)へのバスは沢山出ていると思います。車なら圏央道の相模原インターから西に1kmほど進んだ東金原交差点を右に曲がり、道なりに進むと駐車場への案内が出てきます。駐車場完備で、城山全体が大きな公園となっていますので快適なお城めぐりができると思います。

津久井城フォトギャラリー





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