玉縄城
たまなわじょう



所在地:神奈川県鎌倉市城廻
最終更新日:2021.12.23
<2015.10.4記>
難攻不落といって、これほどの難攻不落なお城はなかなかないでしょう。
もとより許可を取れば見学が不可能なわけではない点で、見学のしようもない仙台の若林城(宮城刑務所)よりずっとましなのかもしれませんが、妙齢の(=中途半端に年寄りな)男性(笑)にとって、私立女子高の敷地に入るというのは難易度が相当高いと言わざるを得ません。
数年前、会社の同僚がこの女子高の出身であるとのことで、母校訪問かたがた、見学許可を取ってみましょうと言って頂きましたので、これ幸いとお城仲間を募って見学を慣行したことがあります。もちろんその時には見学可能エリアである諏訪壇あたりしか歩いていないのですが、それでも大手門方面(ここも見学可能なはず)へと移動する際にはテニスコートの脇を通らなければならず、
「わ、びっくりした!」
という在校生テニス部の皆様の声を横に聞きながら、冷や汗をかきながらの移動となったのでした。
現在、玉縄城は地元の保存会の皆様が残された遺構の保全と情報の公開に努めていらっしゃいます。年何回かは見学会なども開催されていますので、特集で記した「けまり場」などへの見学も叶うようになっているようです。なのでいつかは再訪を!と心に期しています。

<2021.12.23記>
玉縄城の七曲口に冠木門が出来て、お城っぽく整備されたとのニュースをどこかで目にしてから相当な年月が経過してしまいましたが、実に久しぶりに玉縄城を訪ねてみようと思い立ちました。実は学校の許可を頂いて校内を見学した際の写真が散逸してしまったために、「城をやる」の中で玉縄城は長らく「写真なし」の城となっていました。このたびやっと、ほんの数枚ですがフォトギャラリーに掲載できる写真ができました。これだけでも再訪した価値がありそうです。
七曲口から登っていくと、山上部のところで両側から土塁がぎゅっと迫っているのを感じることができます。遺構も少ない玉縄城の中で、お城を感じることのできる数少ない場所ですね。付近の林を覗き込むと、思った以上に明瞭な堀切が残っていたりもします。既に先人の多くが記されていることではありますが、玉縄城は決して完全破壊されたわけではなく、よくよく探せばお城の面影を残しているところが沢山あるんですね。そういう意味では私もまだまだ玉縄城を極めているとは言えません。
Data
ランク -
土塁、堀
創築:永正10(1513)年、伊勢早瑞(北条早雲)
後北条氏、本多氏、松平(長沢)氏(玉縄藩、20,000石)
大船駅から清泉女学院行きのバスに乗れば確実に玉縄城まで辿り着くことができます。清泉女学院手前の植木谷戸で下車すれば、玉縄城の模型がある龍寶寺と、七曲り登り口もすぐそばです。
車の場合は龍寶寺にある玉縄歴史館の駐車場が便利だと思います。

玉縄城フォトギャラリー





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