栗野城(松尾城)
くりのじょう(まつおじょう)



所在地:鹿児島県姶良郡湧水町木場
最終更新日:2017.11.7

   
<2017.11.7記>
地元では松尾城という表記の方が一般的なようですが、どうやら松尾城というのは南九州地方の群郭式城郭における一曲輪の名称であることが多いので、ここでいう松尾城ももとは栗野城という大きな城郭の一部分を松尾城と称し、その部分に近世の栗野城の主郭部分が乗っかったという流れのように感じられましたので、ここでは栗野城の名称を優先的に使わせて頂きました。「松尾城」という名称についての見解は外野からの邪推なので、もし違っているようでしたらご指摘賜りたく。
さて栗野城は、南九州のどこのお城よりも近世的な姿を残しています。織豊系の石垣があるとは聞いていましたが、現地で見てびっくり。野面積みの豪壮な石垣は浜松城や二俣城、あるいは小諸城や伊勢神戸城にも匹敵するような荒々しい迫力に満ちています。近隣の他のお城とは全く異なるこんなお城が、しかも主郭虎口部分の石垣が、破壊されることもなく残ったのは奇跡に近いのではないでしょうか。どうして破壊されなかったんでしょう。。。
栗野城は天正15(1587)年に島津義弘によって築かれました。天正15年というと、豊臣秀吉の九州仕置の真っ最中ということになります。豊臣の支配下におかれる前に築かれたこのお城を織豊系と言ってしまうことには抵抗がないでもないですが、形式的には間違いなく織豊系ですね。主郭には礎石建造物があったと思しき礎石も点在しています。天正18年には義弘の本城となり、文禄4(1595)年に帖佐館に移るまでここを本城としていました。もっとも当の義弘自身はこの間、ほとんどの時間を朝鮮半島で過ごすことになったのですが。このお城がお城として機能したのはこの時期だけなので、現在残る石垣も天正年間まで遡るものである可能性があります。もしそうならば、近世城郭における石垣としては極めて古い部類に属しますよね。貴重な遺構です。
ランク 町史跡、鹿児島県3位
石垣、土塁、堀
創築:天正15(1587)年、島津義弘
島津氏
アクセス   城山総合グラウンドの一角を占めているので、駐車場もトイレも完備している綺麗な公園なのですが、グラウンドまでの道は一方通行もあってわかりにくいです。国道268号線の栗野清水交差点を南に折れて県道103号線に入り、100mほどいくと城山総合グラウンド入口の看板が現れますのでそこから城山へと登ります。あとは松尾城への案内看板に従えば、広い駐車場まで辿り着けます。


栗野城フォトギャラリー





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