屋島城
やしまじょう

(香川県高松市)
最終更新日:2017.2.4

地図

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<2017.2.4記>
高松で朝を迎え、既に何度か訪ねている高松城はスルーして、まっすぐ屋島へと向かいました。あとで考えたら、高松城の写真がほとんどなかったのでした。寄ればよかった・・・
屋島は四国八十八か所霊場としての屋島寺が有名で、これまでお城としての屋島はあまりクローズアップされてこなかったのですが、先ごろ屋島城の石垣が一部復元されたとのニュースを目にしていたので、見てみたかったのです。
復元された石垣はまだ新しさが際立っていて周囲の風景とも馴染んでいませんでしたが、感動したのはそこに飾られていた写真。屋島城を長年研究された方が山内をくまなく探索して漸く見つけたのがこの石垣。急斜面の藪の中から石垣を見つけ出した時、見つけた方はどんな気持ちだったのでしょうね。
はるかに高松市街を見下ろす屋島城の石垣。1300年の時を経て、現代に復活です。
Data
ランク -
石垣、土塁
創築:天智天皇6(667)年
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古代山城のひとつです。古代山城には歴史上にその名を残すものとそうでないものとが混在しているのですが、屋島城は日本書紀にその名が記されています。時は天智天皇6(667)年。4年前の白村江の戦いで唐・新羅連合軍に打ちのめされた大和朝廷は、唐・新羅の逆襲に備えて国土防衛策へと転じます。対馬の金田城を最前線、大和の高安城を最後の砦とする城塞群は、瀬戸内地方にも点々と構えられました。広大な平坦地を山頂に持つテーブル型火山の屋島は、そうした情勢の下で古代山城を築くにはうってつけの立地だったのでしょう。ちなみに屋島はもともと島で、島ではなくなったのは江戸時代になってからのことだそう。
屋島城は大正時代に水門遺構が発見され、古代山城の実在性が証明されたのですが、平坦な山頂に比べると斜面が総じて急なため、石垣などの遮断線は設けられなかったのではないかと考えられてきました。ところが平成21(2009)年、長年屋島城を研究されていた方が山腹で石垣を発見。この発見を機に周辺の発掘調査を実施したところ、石垣とともに城門の遺構が発見されました。この石垣遺構は復元され、平成28(2016)年から一般公開されています。
なお、屋島城は古代山城の他に屋島の戦いの舞台でもあり、四国八十八か所の霊場でもあることから、屋島まるごと「屋島」という国指定の史跡になっており、合わせて国の名勝にも指定されています。





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