高松城
たかまつじょう



所在地:香川県高松市玉藻町
最終更新日:2022.6.23

<2012.4.5記>
高校1年の夏休み、父と一緒に四国旅行をした時のこと。最初のお城が高松城でした。
それから30年近い年月が流れ、今度は出張で高松を訪れる機会がやってきました。
ところが、飛行機に乗るほんの3時間ほど前に、左目がごろごろ。
念のため、と思って眼科に駆け込んだところ、「膿が出てますね。切りましょう。」と。本人の意思も確認しないままさっさと切られた挙句、
「一日、眼帯をしていて下さいね。」
「あの・・・先生、私、右目が見えないんですが・・」
「へ?」
さあ、それからが大変。右目だけが極端な弱視・・・という私が左目に眼帯をすると、どういうことになるか。
真っ白にしか見えない地図と、真っ白にしか見えない処方箋を持ち、薬局とおぼしき店によろよろと入り込んで、口述で住所氏名登録を済ませ・・・
部下の肩を借りて飛行機に乗り込んだ私は、肝心の出張先の会議でも全く資料が読めず、一言も発しないまま会議を終える羽目になりました。
傷心の帰り道、それでもどうやら痛みも癒えた頃、部長が一言。
「高松城、見てきていいよ。」
「ほ、ほんとですかー!?」
さっきまで眼帯をしていたことも忘れ、一目散に高松城へと駆け込みました。いやはやあの時の、視界に飛び込む高松城のすがすがしかったこと。見学に許された30分の時間をフルに使い、全力疾走で城内を駆け回り、ぜいぜいしながら部長の待つ支店へと戻りました。
鮮烈な高松城の思い出とともに、鮮烈な印象として残ったのが、琴平電鉄の高松駅で見た、全身ゴスロリの女の子。
平日の雨の日に、どうして?と思うような真っ白な装束で、周囲の視線もものともせず、琴電に乗り込んでいきました。
垢抜けない、ごっつい鉄の車両の中に、どうみても場違いな真っ白い女の子。高松城も鮮烈でしたが、これほど鮮烈な光景も珍しく、思い出深い出張となりました。

海浜に築かれた近世水城の走りともいえる高松城は、生駒親正によって天正18(1590)年に築かれました。天正18年と言えば、小田原の役を経ていよいよ天下統一がなされようという年であり、瀬戸内沿岸では広島城、岡山城などの巨城が続々と誕生していた時期に当たります。生駒氏は4代続き、その後に水戸光圀(黄門様ですな)の兄にあたる松平頼重が入ります。松平頼重は徳川御三家・水戸家の藩主の「兄」という不思議な立場ですが、つまりは妾腹であったため水戸家を継ぐことができなかったということなのだそうで。それはおかしいだろうと思ったのが、ほかならぬ水戸光圀。光圀は自身の実子と頼重の実子とを互いに養子とすることで、実質的に頼重の直系が水戸藩主となるように計らったそうです。それ以来、高松藩は水戸光圀の直系が代々藩主を務めることとなりました。これってたぶん、いい話ですよね。光圀、すごい。
さて、高松城のお堀には海水が引き込まれ、堀に大きく張り出した天守台を持つ本丸を三重の堀で囲む、なかなかの構えを見せていたようですが、現在は本丸周辺だけがかつての姿を伝えています。とはいうものの、さすがは水戸家に繋がる格式高いお城だけあって、現在残る着見櫓と艮櫓はいずれも三層の堂々たる櫓で、シャープな外観に惹かれるお城ファンも多いことが推察されます。
平成23年には天守台の改修が完了しました。この天守台の上にはいわゆる南蛮造りの天守が建ち、四国最大規模を誇っていましたが、明治になって老朽化のために解体されてしまいました。現在、この天守の古写真等を探す動きが盛んになっており、資料が揃えば天守の再建も夢ではない、という段階まで漕ぎ着けています。なお、同じ平成23年には、三の丸の堀の一部も発掘により明らかになりました。

<2019.3.19記>
久々に訪ねた高松城は、相変わらずの格調の高さを誇っていました。現存の櫓を見ていると、大きさといい装飾といい、並の城なら天守と呼んでもよいだけの威容を備えていますね。石垣にも品があって、さすがは徳川のお城と唸ってしまいます。
海水堀にはずいぶん鯛が増えました。鯛の餌やりができるのですが、普通の堀なら鯉か何かが集まるところに、鯛が集まるわけですから、ずいぶん贅沢な餌やりです。天守周辺ではVRによる城郭復元見学ツアーなるものも行われているようです。そうした最先端の展示もさらっとこなしてしまうあたり、高松城、やっぱり相変わらず格調高くて格好いいお城だな、と改めて思いました。

<2022.6.23記>
2022年の冬、フェリーで徳島に上陸しての四国一周旅行を敢行しました。旅の中で、最初に向かったお城が高松城。前回の訪問で「入れ食い」状態だった「鯛のえさやり」を楽しみにしていたのですが、夕刻の訪問だったせいかたまたま鯛さんたちがお腹いっぱいだったからなのか、前回のような入れ食いは見られませんでした(涙)。でも一部の鯛さんは、自動販売機からえさのカプセルがごろん、と出てくる音を聞きつけた?だけで集まってくるから大したものです。この鯛さんたち、音で集まってくるのか石垣上の人影を見て集まってくるのかは未だに定かではないのですが、筆者の眼にはどうしてもあの「ごろん」という音とともに集まってくるようにか見えません。まあ音で集まるにせよ、人影で集まるにせよ、「ご飯だ!」と集まってくるお魚さんたちは大したものだな、と思います。
高松城内には披雲閣という御殿建築が残されています。旧藩主御殿も披雲閣と呼ばれていましたが、現在の披雲閣は先代の披雲閣があった場所に先代の半分程度の規模で再建された建築です。旧藩主の高松松平家が大正3(1915)年から大正6(1917)年までかけて建てたもので、現在は国の重要文化財にも指定されています(お城が現役だった時代のものではないので、城郭御殿としてはカウントできないんですよね)。一般公開日は年数回に限られますが、貸館利用が可能なので何かしらのイベントがあればちゃっかり入館することが可能です。この日もちょうど工芸美術展が開かれていましたので、有難く見学させて頂きました。
披雲館に用いられているガラスは表面がふにゃふにゃです。いかにも古いガラスなんでしょうね。ガラス越しに大きく月見櫓が見えましたのでカメラに収めたのですが、カメラ越しに見ると肉眼より櫓が小さくなってしまいます。平面ではないガラスとカメラのレンズとの干渉によるものなのだと思いますが、そんなこととは無関係に「大きな櫓」を脳内に映し出す「人間の目」ってのは大したものなのだな、と、妙なところで感心してしまいました。
この時にはまだ建設中であった桜御門は、つい先日、2022年6月21日に竣工しました。高松城に現存する建物がみな白漆喰なのに対し、桜御門は下見板張です。優美な建物の多い高松城にあっては無骨な部類に属する感じですが、現在の玉藻公園のほぼ中央に位置する桜御門が蘇ったことで、高松城の全体像が一層引き締まるものになったのではないかと思います。また行ってみたいですね。
Data
ランク 国史跡、100名城、100選、百選、香川県2位
櫓(重文)、門(重文)、石垣、堀
創築:天正18(1590)年、生駒親正
生駒氏、松平(水戸)氏(高松藩、120,000石)
JR高松駅からほど近くに高松城があります。琴電高松築港駅は高松城の真横(真上?)です。駐車場はお城の東側、艮櫓から堀を隔てた先にあります。何しろ交通の便は抜群なお城ですね。100名城スタンプはチケット売り場に備え付けられていますので、入城券購入の際に一声おかけください。


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