丸亀城
まるがめじょう



所在地:香川県丸亀市一番丁
最終更新日:2022.6.27

<2012.7.14記>
天下一の石垣として名高い丸亀城は、豊臣秀吉の四国征伐の後、讃岐の地を任せられた生駒親正によって慶長7(1602)年にほぼ現在の形に整えられたと言われてきました。ただし現在残る石垣は、生駒氏の時代ではなく山崎氏を経て京極氏の城郭となってから、延宝元(1673)年になって完成したものと言われています。改修にかけた年月は実に70年余。天下泰平、城郭の修築はそれこそ不要かつ不穏な動きとされ、下手に修築すれば改易も免れない時代にあって、こつこつと工事が続けられたという点、異例と言えば異例です。一説には寛永14(1637)年の島原の乱を契機として、瀬戸内地方に点在するキリシタンの蜂起に備えたのだとか。その話に基づけば、麓から山頂まで3段、比高60mを誇る壮大な石垣群は、島原の乱の副産物と言うこともできるのかもしれません。
丸亀城の大手門は当初南側に開いていましたが、ある時期から北側に変更されました。そういえばと思って全国の主だったお城の大手門の向きを調べてみると、なるほど普通は南向きなんですね。たとえば日本海側の(つまり丸亀城と同じように北側に海がある)松江城や浜田城でも、大手門は南向き。お隣の高松城も南向き。普通は南向きだよね、という流れの中で丸亀城も南側が大手だったのだと思いますが、丸亀の場合、お城の北側にそこそこスペースがあって、しかもそちら側に港があるわけですから、お城の北側が発展していくのは必然的な流れだったのでしょう。大手門が変わるというのは相当な重大事だと思いますが、丸亀城の場合は至極当然のこととして受け止められたような気がします。
この大手門の変更に合わせ、大手門からもっともよく見える位置に現在の天守が築かれます。万治3(1660)年のことでした。この天守、日本最小の現存天守としても有名です。あまりに小さいので、少しでも大きく見せるために、最上階の屋根の向きを長短逆向きにする等、涙ぐましい努力が施されています。そのため、この天守は横から見ると小さい・・・というより「薄い」と感じます。
現在の丸亀城は希少な天守を現存するお城として多くの観光客を集めていますが、全国的に見ても先駆け的な「おもてなし隊」が編成され、観光客の目を楽しませてくれることでも有名になっています。
丸亀城の思い出は、中学時代に遡ります。父と一緒の、四国半周の旅。「こんぴらさんには寄らないのか?」という父の声には、今思えば「俺だって香川は初めてなんだから、こんぴらさんくらいは見ておきたいんだが?」という響きが籠っていたように思えましたが、お城しか見えていないわがまま中学生の私には、その本音が届くはずもなく。今となってはせいぜい天国の父に「申し訳ない!」と謝るくらいが関の山といったところでしょうか。
高松から丸亀へ。当然のごとく丸亀城へと直行し、壮大なる石垣にわくわくしながら天守まで辿り着いたところで、「なるほど小さい」と、その天守の小ささに納得。横から見た天守があまりにも貧弱だったせいか、「天守の中はいいや。」と、呆れる父を横目に、天守を目前にして踵を返したのでした。
お城を降りたところで、父が「なあ・・・」と話しかけてきました。
「讃岐うどんくらいは食べないか?」
ああ、香川といえば讃岐うどん。そういう「名物」にも全く考えが及びませんでした。そこでお昼は讃岐うどん。ただし駅前のお蕎麦屋さんのような場所で。
父は「これが讃岐うどんか〜」と、それなりに満足そうでしたが、果たしてあれでよかったのか。そんなわけでもうひとつ天国の父に向かって、「申し訳ない!」。

<2017.2.5記>
100名城スタンプを確保するため、久方ぶりに丸亀城を訪ねました。丸亀を題材にしたさだまさしさんの楽曲「城のある町」が流れる中、城内の売店で購入したのが「讃岐うちわ」。小さなうちわでしたがさすがにしっかりした作りで、今でも会社の自席で活躍中です。
売店の主は大変親切な方で、こちらが求める前に「讃岐うどんの美味しいお店」を教えてくださいました。朝食がうどんだったので、うどんでなくてもよかったのですが・・・(笑)。でもせっかくご紹介頂いたので、その日はお昼もうどんになりました。
城内を一周回った後、大手門へと戻る途中ですれ違ったおじいさん。私のカメラを見て「写真撮る人かい?」と一言。
「写真撮るなら、いい穴場があるんだ。ここから天守を見上げてごらん。いい感じだから。」
私、どちらかといえばとっつきにくいタイプだと思うんですが、そんな私にあれこれとアドバイスしてくれる丸亀の皆様の親切心には本当に感謝です。
さて、こんぴらさんをどうするか。うーん。やっぱり、こんぴらさんよりはお城・・・かなあ。今回もこんぴらさんはパス。ごめんなさい!

<2019.3.24記>
2018年の夏、改めて丸亀城を訪ねました。折しも「よさこい祭り」か何かの真っ最中で、派手ないで立ちの踊り子さんたちが街中を闊歩しているばかりではなく、会場からは際限なく大音量の音楽が流れ続け・・・前回のほんわかした雰囲気はどこへやら、やたらとやかましい中でのお城見学となりました。
前回訪問時から野球場があった側の石垣のひび割れが気になっていたのですが、この年に全国を襲った豪雨の影響で、三回に亘って石垣が崩落するという悲劇に見舞われました。
そうはいっても、丸亀城と言えば石垣、石垣と言えば丸亀城。
ちょうど数日前に、丸亀城の石垣復興のためのプロジェクトが本格開始されたというニュースも流れました。時間はかかると思いますが、元通り四方くまなく隙のない高石垣に囲まれた丸亀城の雄姿が蘇るよう、心からお祈り申し上げます。ふるさと納税しなきゃ。
そうそう。この時はついにこんぴらさんにも立ち寄りました。こんぴらさんから眺める讃岐平野は実によい眺めでしたよ。父さん。

<2022.6.27記>
丸亀城の本丸からは、瀬戸内海が一望できます。前日が結構な雨だったので、車から出ることなくうろうろできる場所を探した結果、「瀬戸大橋を渡って一度本州に渡ってみる」というルートを採ることになりました。実際に通ってみて、本州と四国の距離の近さを改めて実感したのですが、丸亀城の本丸から瀬戸内海を臨むと、前日に渡った瀬戸大橋がくっきりと見えます。瀬戸大橋を渡った先には鷲羽山ハイランドの観覧車とジェットコースターもくっきりと。
・・・ということは、その手前にあるはずの下津井城も、(今は山しか見えませんが)はっきりと見えていたことでしょう。下津井城が廃城になったのは寛永16(1639)年、丸亀城が山崎家治によって大々的に改修されたのが寛永20(1643)年からということで、この二つのお城が並んで立つことはなかった(生駒氏時代の丸亀城がどんな形だったかは横に置いておきます)わけですが、丸亀城の本丸に立って、下津井城との視覚的な近さを目の当たりにすると、瀬戸内海を挟む形で並ぶこの両城が同時に存在する姿を見てみたかったかな、という気分になりました。
Data
ランク 国史跡、100名城、100選、百選、こんな城、香川県2位
天守(重文)、門(重文)、石垣、堀
創築:慶長7(1602)年、生駒親正
生駒氏、山崎氏、京極氏(丸亀藩、51,000石)
JR丸亀駅から概ね南に800mほど進んだところにあります。街中からはちょいちょい天守が見えますので、方向感を見失うことはないでしょう。車の場合は大手門正面に駐車場があります。
100名城スタンプは、天守内部で押すことができます。


丸亀城フォトギャラリー






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