鳥越城
とりごえじょう



所在地:石川県白山市杉森町
最終更新日:2020.8.4

   
<2015.12.12記(2020.8.4改)>
鳥越城の近くに来ると、道の駅「一向一揆の里」なんてのもあって、雰囲気がぐっと一向一揆的な感じ(どんな感じですかね)になります。見上げれば、山の上に何やら柵のようなものが。
鳥越城のある山は結構傾斜が急なのですが、車で山上まで上がれるので楽々です。
しかしこの日は、残念ながら、霧煙る雨。やむを得ず、ビニールの合羽を引っ張り出して羽織り、いざ見学へ。
うーむ。
これは本格的な”城郭”ですな。一向一揆の城とかそういうなんか特殊なものではなく、これはもう立派なお城。枡形門には大きな石が嵌め込まれていて、この石に「土台石」とか「底部を安定させるための石」とかいった合理的な役割が説明できないのであれば、それはつまり「鏡石」ということですよね。一向一揆のお城なのに、「見せる城」?
整備されたエリアを一通り眺めた後、整備されていない曲輪の方まで足を伸ばしてみました。すると、林の中に綺麗な堀切が。
そうそう。これこれ。
戦国城郭のたたずまいは、やっぱりこうでなきゃ。
車で山上まで上がってきておいて、よく言うものだと思いつつ(笑)。
二度目の訪問では、門の外側の通路も少し下ってみました。こちら側にも石垣があるんですね。してみるとここが大手筋ということでしょうか。このお城ではやっぱり石垣を単なる「土留め」ではなく、威信のために使っているような気がしてなりません。
鳥越城は、一向一揆の国であった加賀勢が総力を挙げて織田氏の脅威に対抗するために作られたお城と言われています。航空写真で見てみると、二つの川に挟まれて細く長く突き出した山稜の先端部分に位置しており、山の上からの眺望はもちろんのこと、山の下から見ても実にわかりやすいところにあるので、「いやー、いいところにあるなー」と思わず口に出てしまいそう。それこそ近世大名が拠点にしてもよさそうな、好立地のお城です。創築は一応鈴木出羽守としましたが、この人はまあ指揮者として担がれているわけで、実質的には一向一揆の宗徒がよってたかって守っていたということなのでしょう。一揆というと農民集団を想像してしまいますが、もともと一揆というのは一定の思想・精神のもとに集まることを指すので、「一向宗」という統一精神のもとに集まった人々の中では武士も農民もごっちゃになっていたわけですね。
鳥越城は天正8(1580)年に柴田勝家によって落城させられ、一向一揆衆も天正10年頃までには駆逐されてしまったようです。鳥越城はその後使用されていない、とのことですが、調査結果に基づき主郭に復元されたとされる枡形門には既述の通り「鏡石」が嵌め込まれ、「見せる城」としての意匠が施されています。常識的にはこれは一向一揆衆の手によるものではなく、鳥越城落城後に織田方(佐久間盛政か?)によって整備されたと考える方が普通な気がします。
お城は中心領域が発掘調査され、先に挙げた城門跡や火災に遭った建物跡、櫓の跡などが極めて良好な形で検出されました。良好な残存状況と歴史的価値が評価されて昭和60年に国史跡の指定を受け、整備されました。
ランク 国史跡、続100名城、石川県2位
門(復元)、石垣、土塁、堀
創築:天正元(1573)年、鈴木出羽守
鈴木氏(一向一揆衆)
アクセス 小松から国道360号線を白山方面に進み、小松市と白山市の市境近くにある三坂トンネルを過ぎた先の左側の山の上に鳥越城が見えてきます。道の駅一向一揆の里まで行ってしまうと鳥越城を通り越してしまいますが、先に道の駅に立ち寄り、敷地内にある一向一揆資料館を見てから鳥越城に向かうのも一法だと思います。鳥越城は山の上まで車道が続いていますので、車があれば楽々登城することができます。
続100名城スタンプは、一向一揆資料館で押すことができます。


鳥越城フォトギャラリー





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