牛久陣屋
うしくじんや

(茨城県牛久市)
最終更新日:2014.12.20

地図

<2014.12.20記>
牛久城ツアーは結構歩く距離が長くて、牛久陣屋を訪ねる頃には足が棒になっていました。周囲の人を見ても同じような気分だったようで、道路を歩いているときはとぼとぼしていた足取りが、土塁を見つけた瞬間にだだっ!と駆け足に(笑)。
牛久城とは規模感の異なる土塁と堀を見るにつけ、なんだか得したような気分になりました。
Data
ランク -
土塁、堀
創築:寛永5(1628)年、山口氏
山口氏(牛久藩、10000石)
山口重政という武将を知っている方がいらっしゃったら相当な「通」だと思います。織田氏の家臣で後に徳川家康に仕え、地味な働きで牛久15000石の大名にまで上り詰める人物です。そこまでならまだ他にもいそうですが、大久保長安事件という大疑獄のあおりを食って一度は改易となりながら、大阪夏の陣で一発勝負の戦功を挙げ、その功によって牛久15000石に返り咲いたという不屈の魂を持つ武将です。もっと知られてもよい人かも。
牛久陣屋はその重政の息子・弘隆によって寛永5(1628)年に築かれました。由良氏が牛久城を廃城としてから間もない頃ですが、牛久城と目と鼻の先にこじんまりと陣屋を建てるに留めた点、時代の流れといいますか、この時代の大名の慎重な動きといいますか。
陣屋はほぼ単郭だったようで、台地に面した側はほぼ消滅していますが、牛久沼に面した方には一本の土塁と堀、それに船着き場のような遺構が残っています。





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