内宿館
うちじゅくやかた

(茨城県行方市)
最終更新日:2012.2.26

地図

<2012.2.26記>
木崎城から神明城に向かう途中で、「もう一つ、城らしいものがあるんですよ。」と、お城仲間。
ではでは行ってみましょう、ということになり、彼の案内でお寺のような場所へとたどり着きました。「内宿館」と呼ばれるその場所は、確かにお城らしさをぷんぷんと匂わせています。思わず私は、
「城の匂いがしますよね〜」
と、口走ってしまいました。
「小城さんは、城の匂いも嗅ぐんですか!」
と、大層驚かれた記憶があります。「城の匂いがする」は、その後暫くの間、名言として心に残りました。
さて肝心の館跡ですが、こちらは見学ができません。とあるお寺になっているのですが、見学の許可が下りませんでした。いきなりずかずかと入り込んでしまったこちらにも、大いに非があるところかと思います。大変に失礼致しました。本当に申し訳ありません。
Data
ランク -
土塁、堀
創築:慶長7(1600)年、仁賀保氏?
仁賀保氏?
私は上記のいきさつから見学が叶わなかったのですが、考えてみれば寺の境内でない場所(つまり土塁の外側)からは観察ができたのではないかとも思っています。ちなみにこの館は横堀や枡形、折れも有するなかなか先進的な造りをしていて、近隣の地名にも「新城」とあることから、どうやら南方三十三館の時代のものではなく、関ヶ原の戦いの後、この地で5000石を領した仁賀保氏の陣屋だったのではないか、というのが納得感のある説明に感じられます。ちなみに仁賀保氏というのはもとは甲斐源氏・小笠原家の庶流・大井氏から出た家系のようで、今の秋田県の象潟あたりの仁賀保地域を領していたようです。小田原の役、関ヶ原の役という二つの大きな戦いをうまく切り抜け、小さいながらも1万石の大名となって、この内宿の地を離れて仁賀保の地に返り咲いたとか。仁賀保氏のことは、この内宿館を調べることで初めて知りましたが、戦国の世には小さいながらもこんなしたたかな一族が結構まだまだいるものなのだな、と思いました。





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