嶋崎城
しまざきじょう

(茨城県潮来市)
最終更新日:2012.2.20

地図

<2012.2.19記>
霞ヶ浦近辺でゴルフがあった際、「事前にお城が回れるな」と思い立ち、半ば冗談で「早朝5時からお城見物にお付き合いくださる方はいらっしゃいますか?」と呼びかけました。すると、「ご一緒します」という、極めて真面目なご返答。嬉しいやら、びっくりするやら。で、待ち合わせたのがここ、島崎城でした。
「いいですか。神社の参道はまっすぐ続いていますが、大手道はそっちではありませんから・・・大手道を来てください。」
という、丁寧な道案内のメールまで頂き、恐縮しながら本丸へと向かいました。ところが、方向音痴な私は、ついつい参道の方に向かってしまったんです。そうして石段を上がって、今は神社になっている本丸へとたどり着いてしまいました。
「はて、彼はどこで待っているのだろう・・?」
本丸から、本来の大手道を逆に辿ってみたら、本丸虎口の武者隠しで、私の到着を今か今かと待ちわびる、彼の後姿が見えました。背後から私に声を掛けられた時の彼の驚いた顔ときたら・・・いやはや、大変申し訳ないことを致しました。
Data
ランク -
土塁、堀
創築:不明、島崎氏
島崎氏
島崎氏はもともとこの地域の大豪族である大掾氏の一族である行方氏から更に分かれた一族ですが、いわゆる鹿行地域のまとめ役のような地位にあったようです。この地域、天正年間までは実に細かく群雄割拠され、俗に「南方三十三館」と称されるほどに、数多くの城館が築かれ、それぞれに城主が存在していたようですが、天正19(1591)年の、いわゆる「南方三十三館の仕置き」という大事件によって、この地域の支配者層は佐竹氏によって一瞬のうちに抹殺されます。島崎氏もその中の一人(親子もろともだったようなので二人でしょうか)だったようで、島崎城を含めたこの地域のほとんどのお城は、廃城になった時期が特定できる、極めて珍しいお城です。
島崎城は現在、御礼神社が鎮座している本丸を中心に、よくその全貌を残しています。岩盤を垂直に断ち割った横堀や、堀によって狭められた通路、三角形に切り立つ切岸、二重空堀等、見どころが満載です。ただ、必ずしも全体が見学し易い状態にあるとも言えず、私有地になっているところも多々あるように見受けられますので、見学の際にはご注意頂きたく願います。





inserted by FC2 system