小幡城
おばたじょう



所在地:茨城県東茨城郡茨城町
最終更新日:2012.7.16

   
<2012.7.15記>
お城仲間が沢山増えてくる中で、当然にこのお城は何度も話題に上り、その度に「未訪」であることがちくちくと気になっていたお城でしたが、ミニオフ会の機会を得て、漸く訪問することができました。未訪のくせにあたかも何度も来ているかのごとくに「しれっ」と解説したり、相変わらずの図々しさではありましたが(笑)。
実際に訪ねた小幡城の感想は・・・最初こそ壮大な規模の空堀や土塁に「おおっ!」と感動したりしていたのですが、そのうちだんだん食傷気味となり、しまいの方では「お腹いっぱい」になってしまう、という、普通のお城ではあまり感じない感想を持ちました。これでもか・・・というくらいに迷路のように入り組んだ縄張り、全く視界の利かない堀、どこまで行っても同じ場所をぐるぐる回っているようにしか見えない作りは、訪れる人を不安に陥れる要素が満載です。専守防衛のお城、なんですね。出撃することをほとんど考慮せず、ただ攻めてくる敵を撃退するためだけに作られたお城、という感じです。守る、という点では、全くもって完璧なお城ではありますが、お城の非情な面があまりにも色濃く出ていて、頭がくらくらするような思いをしながら、やっとのことで「脱出」してきたのでありました。
小幡城は常陸地方に勢力を張った大掾氏の持ち城で、大掾氏に属する小幡氏が守っていましたが、大掾氏と江戸氏が険悪な関係になると当初は江戸氏に対する前線として、大掾氏の勢力が減退すると今度は江戸氏の大掾氏に対する前線として、常に緊張に晒される立地となりました。小幡城の極端なまでの専守防衛的な縄張りは、こうした緊張感の中から誕生したのだと考えると少しは合点が行くような気もします。江戸氏の支配のまま小田原の役を迎えますが、常陸の地は役後の「関東惣無事令」を拡大解釈した佐竹氏によって江戸氏以下の有力氏族が一網打尽にされ、小幡城もまた佐竹氏の下に帰することになります。関ヶ原の役の後、佐竹氏の秋田移封をもって小幡城はその役割を終えたもののようですが、常陸の歴史の中核近くにある割には、わかっていることの少ないお城のようにも思えます。
お城自体が持つ歴史的価値の評価も高いものではなく(町指定史跡)、まだまだ知られていないお城、ということなのかもしれません。縄張りは一郭〜六郭までの土塁、堀、土橋などがほぼ完全な形で残っていて、今すぐにでも籠城できてしまうのではないかと思えてしまいます。お城全体を概ねふたつに割っていて、そのふたつの区画の間に大きな空堀が二本走っています。この二本の堀が、このお城を訪ねた者をたちまち迷路の中に陥れる仕組みになっています。案内図を手にしていても、時折自分の居場所を見失いかねません。百聞は一見に如かず。まずはご自身の目で、このお城の迷路っぷりを味わってみることをお勧めします。
ランク 町史跡、百選、茨城県3位
土塁、堀
創築:応永24(1417)年、大掾義幹
大掾氏、水戸氏、佐竹氏
アクセス 小幡城は有名な割に、カーナビのセットが難しいお城です。茨城東高校か上野合郵便局を探し、高校の南東、郵便局の東の、北関東自動車道を越えた先のあたり、と漠然とセットして車を走らせれば、あとは城址への案内板が現地に導いてくれるはずです。
巨大な空堀の出口をそのまま活用したスペースに、車数台を停めることができます。


小幡城フォトギャラリー





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