小場城
おばじょう



所在地:茨城県常陸大宮市小場
最終更新日:2017.8.20

   
<2017.8.20記>
小場城に着いた時にはもう日もとっぷりと暮れていたため、写真を撮ることはできなかったのですが、看板だけは撮影できました。この看板の奥には大きな横堀と土塁が横たわっています。住宅と畑との間にどっしりと残存しているのですが、通行の邪魔にもなりそうなものなのに、よくぞ今まで残して下さったものだと、小場城近隣の皆様のお気持ちに深く感謝致します。
小場氏は佐竹氏の分流で、佐竹宗家十代目の義篤が次男・義躬に小場城を築かせたのがその始まりなのだとか。小場氏は佐竹氏の内部抗争の中でもちょいちょい顔を出しており、佐竹宗家と山入氏との壮絶な覇権争いの際には宗家側についたものの、山入側に攻められて討死したりしています。小場氏自身もちょいちょい内紛やらでごたごたするものの、基本的には佐竹氏による配置換えが実施されて小田城に移転するまでの間、小場城を拠点に佐竹宗家を支え続けた一族ということになるようです。小場氏は佐竹氏が秋田に移る際にこれに従って秋田に赴き、大館城代を務めるなど、江戸時代においてもそれなりの家格を保ち続けました。
面白いのは江戸時代になって、大館城代だった小場義村が、藩士の前小屋忠利と平山春芳に命じて自身の「苗字の地」を調査させた記録が残っている点です。時は正徳5(1715)年。新井白石の「正徳の治」がなされていた頃で、佐竹氏が秋田に移ってから100年以上が経過しています。現在なら、今になって日露戦争時代のことを調べているくらいの時間軸でしょうか。ここで派遣された前小屋さんも、小場城近隣の前小屋城にいた前小屋氏の後裔でしょう。ルーツ探しは昔も今も興味の対象となり得るんですね。
さて、小場城はこのあたりのお城によくある、台地上の土地を横堀ですぱすぱと仕切るタイプのお城でした。ただ、主郭については台地の端から端までを掘り切るのではなく、一部に折れを伴う方形の堀と土塁に囲まれていました。方形の中世武家館を基調としつつ、拡張を加えた結果、という解釈でよいのでしょう。
ランク -
土塁、堀
創築:康安2(1362)年、小場(佐竹)義躬
小場氏
アクセス 小場城には目印になるものがありません。県道318号線と県道102号線との交差点(安藤酒店のある交差点)を、県道102号線に沿って南進し、100mほど進んだ最初の交差点を右折すると、やがて左側に横堀が見えてきます。横堀のところに案内看板がありますので、そこに車を停めて周囲を散策するとよいでしょう。ただ住宅と畑の中なので、散策にはご留意ください。





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