野友城 のともじょう |
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所在地:茨城県鉾田市 最終更新日:2017.5.23 |
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<2017.5.23記> 私の中では何となく常陸武田氏は気になる存在になっています。内紛を繰り返してちっともまとまりがなかった大掾氏一族が「南方三十三館の仕置」で粛清されるのはまあ仕方ないとしても、その仕置に名門武田氏が巻き込まれてしまうのは、どう考えても割に合わないような気がするのです。 常陸武田氏は甲斐武田氏と同族で、ある時点から甲斐を離れて常陸に移った一族です。もともと佐竹氏とは同じ源氏ですし、家格からしても概ね同等と言ってよく。常陸に来住した当初は、佐竹氏もきっと同族のよしみでそこそこ付き合ってくれていたことでしょう。ただ時代はどんどん戦国へと流れてゆき、常陸武田氏もやむなく自己防衛に務めるようになります。 野友城はそんな常陸武田氏の、「北の防衛線」。北に向けて身構えたお城は、何本もの横堀を平行させて北側からの侵入をこれでもかというくらいに拒む姿勢を示しています。来てほしくない方角に直線的な横堀を重ねるという、ごくごく単純で機械的な城づくり。恐らくは当主の人柄を反映したであろう、この単純明快な防衛線が、なんとなく私の心を掴むのかもしれません。 ちなみに野友城、竹薮が深すぎて主郭には上がれませんでした。神社があるのでどこからかは上がれるのだと思いますが。 |
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土塁、堀 | |||||
創築:元亀年間(1570〜1573)年、武田信房 | |||||
武田氏 | |||||
野友城をダイレクトに示せる目印はありません。カーナビをセットする際は「野友小学校」を選択し、すぐ東側にある山を目的地にします。野友小学校近辺を東西に貫く対面通行の道路を走り、野友小学校の東まで来たら、山裾にある白い城跡碑を探しましょう。車は城跡碑のあるところに置いて行くしかありません。 |