水戸城
みとじょう

(茨城県水戸市)
最終更新日:2012.3.17

地図

<2012.3.17記>
ゴールデンウィークの頃だったかと思います。前日までの雨が嘘のように晴れ上がり、暑いくらいの日差しが照りつける日となりました。水戸駅からもほど近い高台を、すぱすぱといくつかの堀で切り刻む姿は、この地域に多く見られる中世の土の城と、基本的にはそれほどの違いはありません。ただ、その規模の壮大なこと。二の丸と三の丸を仕切る空堀の美しいこと。本丸と二の丸とを仕切る堀の深いこと。ひとつひとつに、どうしても徳川御三家の格式と威厳を感じないわけにはいきません。本丸の土塁の上には今も当時の瓦が散らばっています。街の中に埋もれたようでありながら、水戸城はしっかりと、現在にまでその雄姿を伝えてくれています。
Data
ランク 「100名城」「100選」「茨城県6位」
門、土塁、堀
創築:建久年間(1190-1198)年、馬場資幹 改築:慶長14(1609)年、徳川頼房
徳川氏(水戸藩、250000石)
徳川御三家のひとつ、「水戸黄門」のおかげですっかり「天下の副将軍様」としての印象が強く染みついている水戸徳川家のお城です。徳川家康の末子(十一男)である徳川頼房がこの地に封じられて後、幕末まで水戸徳川家の居城として使用されました。天守はなく石垣もない点で質素と言われますが、土の城が主流の関東にあってはむしろこれがスタンダード。規模感でいったらこの地域の城郭としてはやはりなかなか立派なものだったと思います。ただ、天守の代わりに二の丸に建った御三階櫓は確かに質素で、古写真で見ると「うーん、天守・・・そもそも城郭建築っぽくないんだけど」と言いたくなるような造りです。それはそれで、先の戦争で焼け落ちたのはあまりに惜しく、実物を見てみたかったものだとつくづく思います。
水戸城を遡ると実に建久年間まで遡ることができます。すなわち鎌倉時代の幕開け、武家政権の夜明けとともに、この地には武家が居住します。最初にこの地に住まったのは、常陸大掾氏の一族・馬場資幹。それから延々と大掾氏の支配が続きますが、応永23(1416)年の上杉禅秀の乱に及んで、上杉方に与した大掾氏に代わり、幕府方についた江戸通房がこの地に入り、そのまま天正18(1590)年まで江戸氏の支配が続きます。長い歴史を持つ水戸城ですが、大掾氏が約220年、江戸氏が約160年続きますから、この地の支配者は長期に亘って代々世襲が続く傾向があるようです。天正18年の小田原の役で、水戸を含む常陸1国は佐竹氏のものとなりますが、慶長7(1602)年、関ヶ原の戦いの後処理で佐竹氏は秋田に去り、代わって徳川家康の五男・武田信吉、十男・徳川頼宜、十一男・徳川頼房と家康の息子が三人立て続けに城主となったところで、水戸藩25万石が確定します。そこからまたまた250年以上、水戸徳川氏が世襲し、明治を迎えることとなりました。





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