木崎城
きざきじょう



所在地:茨城県行方市
最終更新日:2012.3.4

   
<2012.3.4記>
霞ヶ浦近辺で行われたゴルフの前に訪ねたお城の中のひとつです。案内頂いたお城仲間の車が、そこと思しき場所を通過していくのを見て「?」となっていたところ、
「すいません。通り過ぎました。」
と、引き返し(笑)。
このお城、航空写真で見ると、くっきりとその城域がわかります。中心にある香取神社は最近拝殿を作り変えたらしく、真新しい木の色をしていました。この神社を取り囲むように、土塁と堀があるのですが、この堀がまたすごいのです。この地域のお城はどうしてこうもいちいちきっちり作ってあるのでしょう。ただ、現況が竹藪になっていて、おまけに光が入らなくて真っ暗で、撮った写真が全て手ブレになってしまったのではありますが・・・(笑)
木崎城は、常陸武田氏のお城です。常陸武田氏は甲斐の武田氏と同系ですが、15世紀のはじめにはもう甲斐から常陸に移り住んでいて、独立した勢力として結構な勢いを持っていたようです。7代目までは近隣の神明城に居住していたようですが、8代目の武田通信の時代になって、より防御性が高く、かつ大型化したこの木崎城に本拠地を移したもののようです。9代目の武田信房の時に小田原の役があり、その直後のいわゆる「南方三十三館の仕置き」によって、佐竹氏に粛清されてしまいます。9代、約170年続いた常陸武田氏も、その最期は敢え無いものでした。
お城は現在の香取神社を主郭とし、主郭をふたつに分ける土塁と堀、それに主郭をぐるっと取り囲む堀によって中心部が構成されています。これだけ綺麗な二重堀に囲まれているお城もちょっと珍しいかもしれません。主郭の南側に隣接する区画は実に広く、現在は畑になっています。この畑の南側に、地続きの台地と切り離すための堀と土塁が築かれていますが、これがまた規模がでかいです。
ランク -
土塁、堀
創築:天文2(1533)年、武田通信
武田氏
アクセス 航空写真で見るとはっきりと城跡がわかるのですが、地上を走っていると全く目印がない場所です。そこだとわかっていれば、木崎城に入るための小さな標柱が見えるのですが。
カーナビをセットするなら、木崎城に鎮座する「香取神社」も無数にありますので、南側に隣接する「倉川製作所」を目的地にすると便利です。
車は城内の空きスペースか香取神社に、短時間なら停めることも可能だと思います。

木崎城フォトギャラリー






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