木原城
きはらじょう

(茨城県稲敷郡美浦村)
最終更新日:2014.4.4

地図

木原城フォトギャラリーはこちら
<2014.4.4記>
大きな大きなお城です。木原小学校を目指して車を走らせると、学校の裏に回った時点で自動的にお城の中に入れます。本丸まで車で入れてしまいますが、大規模な堀と土塁を実感するためには本丸虎口前の二の丸の駐車場に車を停めることをお勧め。
初めて訪ねた時は本丸に植えられたチューリップが芽を出したばかりでしたが、それから2週間ほど経って改めて訪ねた際には、チューリップがもう満開で。近くの幼稚園の遠足だったのでしょうか。園児たちがきゃあきゃあと本丸内を走り回っていました。その園児の一人一人に目いっぱい、
「こんにちは〜(^O^)」
と言われ、こりゃたまらんと本丸を逃げ出したのでした。ある意味、最強の籠城方法です。
Data
ランク 「茨城県2位」
土塁、堀
創築:永正元(1504)年、近藤氏元 改築:永禄5(1562)年、土岐治美
近藤氏、土岐氏
壮大な城郭でありながら、その歴史はよくわからないお城です。史実としてはこの地域は土岐氏の被官となった近藤氏の支配地であり、木原城近隣(かつては城内)の永厳寺には近藤氏のものと伝わるお墓もあります。が、土岐氏の一被官のお城というにはお城の規模があまりにも大きすぎ、土岐氏のお城だと考えてもなお大きすぎるとの指摘があります。
この地域は戦国末期になると佐竹氏から見た後北条氏の最前線といった位置付けになるので、後北条氏によって大々的な改修がなされたとの見方もあります。ただ同時期の後北条氏のお城と比べると、堀の平面プランなどがちょっと丸すぎるかなあとも思ってみたり。
お城は台地先端の本丸を半円状に囲みながら二の丸、三の丸と展開し、その更に外側を堅固な二重堀で囲む堅城です。東西500m、南北はおよそ1kmほどになるでしょうか。公園化されている場所は本丸と二の丸までで、三の丸に木原小学校がある格好になりますが、木原小学校から道路を越えた先の山の中もまだお城の中で、近藤氏の墓のある永厳寺の南から堀跡とおぼしきものを辿ってゆくと、畝堀やら二重堀やらといった、とんでもない遺構が山の中に眠っているのに行き当たります。一体誰がこれだけの規模のお城を必要としたのでしょう。想像ばかりが広がるお城です。





inserted by FC2 system