笠間城
かさまじょう

(茨城県笠間市)
最終更新日:2012.5.2

地図

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<2012.1.16記>
「関東の石垣の城」を調べる一環で、烏山城に先駆けてこのお城を訪ねました。夏から秋にかけての訪城は実は大の苦手です。理由は・・・
・・・キノコがいっぱい生えているから
特に、地面から一本足でにょっきりと立ち上がっている、いかにもキノコらしいキノコが苦手で、そういうキノコを見つけただけで、もう、キノコに取って食われそうな気分になります。そのため、夏から秋にかけては、できるだけ一人でお城を(特に山城を)訪ねるのはやめているのですが、この日はたまたま一人でした。
と・・・出るんですね。そういう時に限って。しかも、とてつもなく巨大な奴が。「カラカサタケ」と呼ばれる日本最大級のキノコが、天守丸の入口ににょっきりと。
「・・・・○※☆▼!!」
思わず逃げ帰りたくなりましたが、天守丸の石垣を見ないことには始まりませんので、泣く泣く天守丸へと足を運びました。
天守丸に建つ神社は、天守だった建物の古材を用いて作られているのだとか。また、神社を囲む土塀には、かつて天守に使われていた瓦が練り込まれているのだとか。建物の形は変われども、これはれっきとした「現存天守」ではないでしょうか。たとえ用材となろうとも、天守だったものがそこに残っているのですから。
そんなこんなで、巨大キノコに折られかけた心を、天守の用材で助けられ、なんとか訪城を果たしたのでありました。

<2012.5.2記>
お城仲間の日記によって、冒頭の写真にある石垣の一部が東日本大震災で崩壊したままになっていることを知りました。震災から1年以上が経過しましたが、未だ修復される気配はないようです。崩壊個所からの浸水で、更なる崩壊へと進む可能性もあり、少々心配です。
Data
ランク 「百選」「茨城県1位」
櫓(移築)、石垣、土塁、堀
創築:承久元(1219)年、笠間時朝 改築:慶長3(1598)年、蒲生郷成
笠間氏、蒲生氏、松平(松井)氏、小笠原氏、松平(戸田)氏、永井氏、浅野氏、井上氏、松平(本庄)氏、井上氏、牧野氏(笠間藩、80000石)
もともとは鎌倉時代に宇都宮氏の支族であった笠間氏が拠点を構えた場所で、戦国時代までそのまま笠間氏の持ち城となっていたようです。笠間氏は小田原の役で、宗家である宇都宮氏が豊臣氏に帰順したにも関わらず小田原北条氏側についたため、小田原の役後に宇都宮国綱によって討たれ、その命脈を断ちます。その後、慶長3(1598)年になって蒲生秀行が宇都宮城主となったことに伴い、家臣の蒲生郷成が笠間城に入り、この時に近世的な石垣が構築され、同時に近世城郭として中世以来の広大な城地を縮小します。中世城郭より近世城郭の方が規模が小さくなる、というのは、近隣でも唐沢山城や烏山城にも見られ、ごく一般的な傾向と言えるでしょう。
蒲生氏が会津に返り咲いた後は、譜代だったり外様だったり、とにかくめまぐるしく城主が入れ替わりますが、延享4(1747)年に牧野氏が8万石で笠間城に入ると、以後明治までそのまま牧野氏が続きます。
笠間城は関東の城郭では比較的珍しく、いわゆる織豊系の城郭として近世的な石垣が構築されたお城です。石垣は天守丸と本丸の周辺でのみ見ることができます。一方、中世以来の笠間城は、笠間城がのっかている山の全域に及ぶ巨大なもので、現在も山林の中に、大規模な土塁や空堀を見てとることができます。その点が評価され、歴史読本の「日本の城郭 都道府県別ベスト10」では、堂々と茨城県内1位にランキングされています。





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