柿岡城
かきおかじょう



所在地:茨城県石岡市
最終更新日:2017.5.31

   
<2017.5.31記>
柿岡城に着いた頃には、あたりはすっかり闇の中。柿岡城の中心部には柿岡小学校がででん、と居座っているので入るわけにはいきません。周辺を軽く眺めてみると、住宅の背後に不自然な段差があってみたり。なるほど。かつてお城があった名残が、そこここに感じられる場所でした。
柿岡城は、もともと常陸守護八田氏の一族であった柿岡時知が建久3(1192)年に居館を構えたのが始まりなのだとか。建久3年といえば、おお。1192年ではないですか。かつては鎌倉時代が始まったとされた年に、既にここには武家居館があったわけですね。
戦国時代には太田資正(三楽斎)とともに岩槻城を追われた梶原政景(資正の次男)が居住し、後に真壁氏、長倉氏、国分氏と佐竹氏家臣が入れ代わり立ち代わり柿岡城に入りましたが、佐竹氏が秋田に移った後は旗本の陣屋として使われることとなりました。最初に入ってきたのが立花宗茂の弟・直次。立花直次も兄ほどではないにしてもなかなか武勇の人だったようで、関ヶ原で西軍につきながらも旗本として復活し、子の種次の時には1万石の大名になって三池藩を立藩することになります。立花氏が去った後、寛永元(1624)年に稲葉正勝(春日局の息子ですな)が入り、寛永5(1628)年に真岡城に移るまで、ほんの短い間ですが柿岡藩(1万石)が成立しました。柿岡はその後天領となりましたので、柿岡城も廃城となっています。それにしても、稲葉正勝といい立花直次といい、準主役級の武将だらけですね。梶原政景だって関東戦国史上は結構な有名人です。いくら調べても「誰だこれ」というような人しかいない近世のお城もある中で、柿岡城の歴史は実に多彩な人に彩られています。
ランク 市史跡
土塁、堀
創築:建久3(1192)年、柿岡(八田)時知
柿岡氏、梶原氏、真壁氏、長倉氏、国分氏、立花氏、稲葉氏(柿岡藩、10000石)
アクセス 柿岡小学校のある場所が主郭です。学校なので見学、撮影には十分ご留意ください。当然ながら見学者駐車場はありません。柿岡小学校の西側にある石岡市農村高齢者センターの駐車場が利用できそうですが、利用可能かどうかまでは確認しておりません。





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