石神城
いしがみじょう



所在地:茨城県那珂郡東海村
最終更新日:2017.5.27

   
<2017.5.27記>
石神城は、土の城の傑作が目白押しな茨城県の中でも10本の指に入りそうな、素晴らしいお城です。無駄に張り巡らされることなく、城跡の雰囲気を損なうことのない遊歩道。丁寧に刈られた下草。容赦なく立木を伐採したうえで、樹脂や芝生で無理やり固められた土塁や堀を見る機会が増えつつある今、森林散策と城跡散策を快適に同時に出来る石神城は、山城整備のあるべき姿を示しているとも言えます。もちろん、中心部分を巡る広くて深い堀が完全に残っているという好条件あってのことではあるのですが。ただ残念なのが、主郭の一角に設けられた「放射性物質の一時退避」。そういえばここは東海村。かつて重大な放射線事故が生じた場所でした。一時避難されているあの物質がその事故の際のものであれば、すでに15年以上もの年月を経ていることになります。仮に東日本大震災のものだとしても、もう5年以上。放射線というのは、一歩間違えると本当に大変なのだとつくづく思い知らされました。
石神城は、佐竹氏の重臣・小野崎氏の一族が石神氏を名乗って居住したお城です。延徳元(1489)年、小野崎通綱が蘆名・伊達・白川結城氏の連合軍による佐竹攻略戦で最前線に立って奮戦。通綱は戦死しますが、その功によって通綱の子・通老が石神の地を与えられたのがその始まり。石神小野崎氏はその後佐竹氏とも相争うくらいに力を増大させますが、最終的には相当小さくなって(関ヶ原の頃の石神氏の所領はわずか900石だったとか)佐竹氏に従うこととなりました。石神氏は佐竹氏とともに秋田に移り、石神城も役割を終えることとなりますが、石神城は(断続的ながら)ほぼ一貫して石神小野崎氏の拠点であり続けたお城です。石神城の近隣にある長松院は今でも「小野崎氏の菩提寺」であることを示す大きな看板が出ていますし、この地域は石神小野崎氏とともに栄えたと言えるでしょう。
ランク 村史跡
土塁、堀
創築:延徳2(1490)年、小野崎通老
石神小野崎氏
アクセス 東海村にある長松院を目指すのがよいでしょう。大きなお寺ですし、長松寺まで行けば石神城までの案内看板がちらほら出てきます。お城は東向きの台地上にありますが、城の付け根(つまり西側)に舗装された駐車場がありますので、そちらをご利用下さい。


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