部垂城
へたれじょう



所在地:茨城県常陸大宮市北町
最終更新日:2017.8.14

   
<2017.8.14記>
「部垂」と書いて、「へたれ」と読みます。世の中には昼寝城とか百足城とか、なんでそんな名前になったのか判断に苦しむお城も存在しますが、「へたれ」という言葉が一般化したのは現代になってからだと思いますので、部垂城が機能していた時代には、みんな大真面目に「へたれじょう」と言っていたのでしょう。そもそも部垂城に居住した人たちは「へたれ」を名乗っていたわけですし。
部垂城のあった場所は、常陸大宮小学校が乗っかってしまい、遺構らしきものはほとんど見られません。よく探せば崖縁の山腹に堀切や横堀などもあるそうですが、何しろ小学校が鎮座しているのであまり熱心に探索できる場所でもありません。
部垂氏を名乗っていたのは佐竹宗家第11代・義篤の兄弟であった佐竹(宇留野)義元で、部垂城を乗っ取って部垂義元を名乗っていたのだそうです。この義元という人物、どうやら不満分子というか危険分子であったらしく、天文9(1540)年になって義篤によって粛清されてしまいました。部垂城はどうやらそのまま廃城となったもののようです。
ランク -
土塁、堀
創築:応永10(1403)年、川崎頼幹
川崎氏、小貫氏、佐竹(部垂)氏
アクセス 常陸大宮市の中心部近く、北町にある大宮小学校を目指します。校門の手前の駐車場に立派な石碑が立っているので、そこが部垂城であることを知ることができます。ただ何しろ小学校に占地されてしますので、お城らしい遺構はほとんど見ることができません。





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