三日月陣屋
みかづきじんや



所在地:兵庫県佐用郡佐用町乃井野
最終更新日:2019.9.9
<2011.8.14記>
もう10年以上も前のこと。姫路出張のついでに津山城に向かい、その帰りに三日月陣屋に立ち寄りました。現場を見るまで三日月陣屋と鹿野城との記憶がごっちゃになってしまっていた上に、ろくろく場所を調べることもなく三日月駅に降り立ったものですから、陣屋が見つからなくて見つからなくて・・・相当な大回りの末に、漸く辿り着いたその場所には、古材を用いた櫓と真新しい渡櫓とが奇妙なコントラストを描く場所でした。頭の中ではまだ三日月陣屋と鹿野城とがごっちゃになっているので、「学校はどこ?」とか、「この内側にも堀があるのかしらん?」とか、とんちんかんなことを考えていましたが、やがて三日月陣屋は三日月陣屋であって鹿野城ではないということに気づくという間抜けさで。
まあ、それはそれとして。
人ひとりいない、沈黙の陣屋。
風景ごと、どこかの時代から現代に飛んできたような、城下町の風景。
三日月の町は、小さな陣屋を中心とした小さな城下町を、今に伝える貴重な場所でした。
城下に残る、崩れかけの土塀や、既に崩れ果ててしまった瓦葺の壁。道に迷ったせいで、逆に強烈な印象を私の心に残しました。
これはおまけ。電車を一本逃したために、駅前に唯一存在する喫茶店兼食堂のような場所で、ハンバーグを食べましたが、これが思いのほか美味しかったことを補記しておきます。
津山藩主・森家の分家として1万石を領していた森長俊が、森宗家の断絶の際に三日月に移され、新たに立藩したのが三日月藩と三日月陣屋の始まり。以来、明治までそのまま森家によって受け継がれます。
平成に入って発掘調査が行われ、本丸に相当する場所から石垣と櫓跡、橋跡がそれぞれ発見され、別の場所に移されていた物見櫓を原位置に戻したほか、物見櫓の左右の櫓や門も復元され、小さいながらも威風堂々とした陣屋の構えが再現されています。今後も徐々に昔日の姿に戻す動きがあるようですから、これからも楽しみな陣屋です。

<2019.9.9記>
2018年に改めて訪れた三日月陣屋は、現存建築も再建建築も見た目はほとんど変わらなくなっていました。前回見た時にはなかった門も継ぎ足され、陣屋らしからぬ威風堂々とした姿が蘇りました。そもそも建物管理のために人がいて、入館料まで払う仕組みになっているんですから、誰もいなかった前回とは大違いです。小藩とはいえ、名門森家の面目躍如といったところでしょうか。大手門も復元され、鄙びた城下町にもちょっとした色つやが蘇ってきたようでした。
Data
ランク -
櫓、門(再建)、石垣、堀
創築:元禄10(1697)年、森長俊
森氏(三日月藩、15000石)
三日月駅を出て国道を渡り、突き当りを左に曲がって川を渡ったらすぐ右に曲がってもう一度すぐ左に曲がると、大手門が見えてきます。三日月陣屋の中心建築群はそこから更に200mくらい進んだところにあります。車で行く際にも同じ道を辿るとわかりやすいでしょう。陣屋中心部にも大手門にも、それぞれ駐車スペースが確保されています。


三日月陣屋フォトギャラリー






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