国府山城
こうやまじょう

(兵庫県姫路市)
最終更新日:2016.9.25

地図

<2016.9.25記>
国府山(こうやま)城は、山陽電鉄の妻鹿(めが)駅の近くにあって、妻鹿城とも呼ばれています。上の写真の石碑は「妻鹿城」ですね。また、国府山も普段は「甲山」と書かれることが多いようで、むしろ甲山城とした方が「こうやま」とも読みやすいのですが、ここでは「国府山城」で通します。
南麓にある荒神社が甲山への登り口になっていますが、荒神社には駐車場がありません。路肩に車を無理やり置いて一度は登ろうと思ったものの、今度は雪交じりの雨が降る始末。こういう時は概ね「来るな、登るな」の合図だと思っていますので、さっさと諦めて車に戻ることにしました。各種サイトを見ると「山道は滑りやすい」とありますし、そこそこ傾斜も強いようなので、低い山ですが登る際にはご注意のほどを。
Data
ランク -
土塁
創築:元弘3(1333)年、妻鹿長宗
妻鹿氏、黒田氏
元弘の戦いで赤松氏について戦功を挙げた妻鹿長宗が甲山にお城を築いたと言われており、その意味では古いお城です。甲山は周囲から概ね独立したお椀型の山で、すぐ脇を川が流れていることもあり、城を築くにはいかにも適していると言えるでしょう。
このお城が有名になるのは、天正8(1580)年の三木城攻めの後のこと。三木城を本拠に西進を志す羽柴秀吉に対し、若き日の黒田官兵衛が自らの居城である姫路城を明け渡す話はあまりにも有名ですが、その官兵衛が姫路城を引き払って入ったお城が国府山城です。この際、ある程度の拡張工事もなされたことかと思いますが、官兵衛のことですから、秀吉への気兼ねもあってお城にはあまり手をかけなかったことも推測できます。現在残る国府山城は、甲山の山頂から段々に曲輪を連ねただけの比較的単調な作りですが、その背景にはきっとそうしたいきさつも影響していることでしょう。





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