尼崎城
あまがさきじょう

(兵庫県尼崎市)
最終更新日:2010.6.19

地図

<2011.6.19記>
尼崎に出張で宿泊・・・というめったにない機会を頂いたので、翌早朝、業務が始まるより前、文字通り朝飯前にタクシーを飛ばし、JRの尼崎駅前のホテルから尼崎城へと移動しました。とはいえ、尼崎城の旧態はすべて地中にあり、地上にあるのは模擬的な石垣と塀、鬼瓦、石材、それに小学校の中にある模型と石碑。江戸時代の大型城郭がこれほどまでに破壊し尽されたこと自体がむしろ珍しいほどなので、逆な意味で一度見てみたいと思ったのでした。結果はある意味、期待通り。ついでに言えば、近くの川には続々と投げ込まれたであろう、自転車の山。殺伐とした朝の風景の中、それでも小学校の校庭に作られた復元模型が、古記録通りきちんと四重天守で作られている点に、ちょっと救われたような気分になりました。
Data
ランク -
門(再建)、土塁、堀
創築:元和3(1617)年、戸田氏鉄
戸田氏、、青山氏、松平(桜井)氏(尼崎藩、47000石)
戦国時代にもそれなりの規模の城郭があったようですが、元和3(1617)年、戸田氏鉄が5万石で尼崎に封じられた際、海辺のこの地に大規模な城郭が構築されました。本丸は現在の城内小学校近辺にあり、模擬的に作られている石垣や城壁は旧城の遺構とは何の関係もありません。天守が四重であった点は、尼崎城の大きな特徴となっています。明治になって廃城となるに際し、城郭の石材をほぼすべて港の築造に用いたと言われ、その関係で城郭はほぼ壊滅し、地中に消えることとなりました。港湾工事で城郭の大要を失ったという点では、桑名城や柳川城に近いと言えるでしょうか。





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