上ノ国勝山館
かみのくにかつやまたて



所在地:北海道檜山郡上ノ国町勝山
最終更新日:2018.6.20
<2017.1.11記>
上ノ国町を見下ろす夷王山に築かれた上ノ国勝山館は、夥しい中世墳墓群に囲まれていました。勝山館が築かれるよりずっと以前から、この地は神聖な場所とし崇められ、祀られてきたことでしょう。そして、勝山館はたぶんそうした神聖な場所を敢えて選んで築かれたに相違ありません。
勝山館のガイダンス施設は無料でとても充実しているので、まずはここから見学することにします。その中に、大変興味深い展示がありました。
「アイヌと倭人が共存する墓地」
いわゆる倭人にとって、アイヌなり蝦夷なりといった存在は異民族として捉えられていた時期があり、必ずしも友好的とは言えない歴史がありました。勝山館を築いた武田信広もまた、アイヌの長・コシャマインには相当苦しめられた武将でした。ところが、勝山館とその周辺には、アイヌと倭人が共存した証拠が残されているのです。歴史はとかく変化する局面ばかりに光が当たり、コシャマインの乱に代表される闘争史がすべてであると捉えがちなのですが、乱の前後には間違いなく平和な時代がありました。少なくとも勝山館の墓地には、そうした平和な時代を推測するに余りある、静かで美しい時間が流れていました。
上ノ国勝山館は、松前藩の祖と呼ぶべき武田信広が15世紀後半に勝山館を築き、花沢館から移ってきたと伝えられています。以来100年近くに渡って上ノ国の中心地として栄え続けました。近年実施された発掘調査によって、その様相は単なる城郭ではなく神社や御殿、武家屋敷に町屋までを包含した「中世都市」の色彩を色濃く残すことがわかってきました。出土した遺物は陶磁器5万点、木製品10万余点といった膨大なもので、北海道のみならず日本の中世生活史を語る上で欠かせない資料を提供してくれました。また、上にも記載した通り、周辺の墓地から倭人とアイヌの墓が入り混じって発見されたほか、アイヌが用いる骨角器も城内から多数出土したことで、倭人とアイヌが共に暮らしていた実態も明らかになりました。
このように上ノ国勝山館はアイヌと倭人との接点を示す貴重な証跡を残しています。館のほぼ全域が平面復元され、ガイダンス施設から館までの見学路も完備していますので、北海道を訪れた際にはぜひとも訪ねてほしいお城です。

<2018.6.20記>
上ノ国勝山館が続100名城に選ばれたことを記念して、改めて勝山館を訪ねてみました。ガイダンス施設はこれまで4月下旬にオープンしていたそうですが、続100名城の指定を受けて見学者の増加が見込まれたため、例年より早めにオープンしたのだそうです。おかげでスタンプも押すことができました。
前回も感じたのですが、この館にはやっぱり清冽な空気が流れています。風水や霊感といったものにも全く疎い私ですが、この館の立つ場所はやっぱりとってもよい「気」が流れているな気がします。
Data
ランク 国史跡、北海道10位
土塁、堀
創築:15世紀後半、武田信広
武田(蠣崎・松前)氏
国道228号線、道の駅 上ノ国もんじゅの近くに、上ノ国勝山館へと登る車道が付けられています。これをぐんぐん上がっていくと、やがて左側にガイダンス施設が見えてきます。ガイダンス施設から館までの道は軽い下りなので、いわゆる山城登りの苦労を味わうことなく館内を見学できます。
ガイダンス施設の隣に聳える三角の山は夷王山という、いかにも神が宿りそうな山です。ここから鳥居越しに見る日本海は絶景ですので、晴れた日にはぜひ登ってみてください。

上ノ国勝山館フォトギャラリー





inserted by FC2 system