吉田郡山城
よしだこおりやまじょう



所在地:広島県安芸高田市吉田町吉田
最終更新日:2023.7.27

   
<2012.9.1記>
一泊二日で広島と岡山の100名城をぐるっと回るという、若干無理な計画のもと、最も「犠牲」になったのがこの吉田郡山城。スタンプが設置されている資料館は、朝9時のオープン。時間を惜しんで早朝に広島を飛び出した結果、資料館に着いたのは8時半を少し回ったところ。さてどうしたものかと考え込んでいたところ、掃除のために出てきた学芸員さんと思しきおじさんが声をかけてくれました。
「スタンプ?押していきなよ。」
有難くスタンプを頂き、いよいよ城郭へと向かいましたが、後の行程を考えると、山上の本丸までは到底たどり着けそうになく。せめて毛利元就の墓までは行こうと思い、掃除のおじさんにぺこりと会釈して通り過ぎたところ、またまた
「元就の墓、入ってみるかい?」
とのお声掛け。墓の扉の鍵を開けてもらい、墓地内へと導いて頂きました。感激の中で早々に郡山城をあとにしましたが、安芸高田市の方々って、みんな親切なのでしょうか。
いずれにしても、いずれしっかりと城には上らねばいけませんね。。。
南北朝時代に毛利氏がこの地の地頭を命じられて以来、延々と毛利氏の本拠地であり続けた由緒ある場所です。毛利氏を押しも押されぬ中国地方の雄に押し上げたのは毛利元就ですが、その元就の時代には尼子氏の大軍に囲まれるなど、毛利氏とともにさんざんな苦労を味わった場所でもあります。元就の頃から着々と増強工事が続けられ、孫の輝元の代になって広島城が築かれ、広島に移転する直前まで拡張工事が続けられたもののようです。いかにも中世の山城といった山上の本丸以下の郭群と、石垣を伴う山麓の居館群がワンセットになった複合型の城郭で、山麓にはあちこちから立派な石垣が出土しているほか、金箔瓦なども見つかっているとか。それでもまだまだ未調査区域の多いお城でもあり、これからまだまだどんな発見があるのか、非常に楽しみなお城でもあります。

<2019.7.4記>
上のようなことを書いておきながら、再訪した吉田郡山城は一泊二日どころか、東京から広島空港ー浜田ー広島空港を経て東京に戻るという日帰りコース(爆)。それでも今度こそはと山を目指します。何しろあの頃の私と今の私とは鍛え方が違う!(笑)。こつこつ足腰を強化した甲斐あって、日帰り強行軍で、かつ多治比猿掛城を登って降りてきた身でありながら、山道をぐんぐん進む力強い私。えらいぞ私(爆)。
釣井の壇に始まり、山上の各郭とその連携状況を確認しつつ散策しましたが、土塁や堀といった細工をどうのこうのするというより、山頂から八方に広がる尾根にそれぞれ曲輪を削り出して、主郭との高低差で城全体に威圧感を与える構造です。高低差で城を作る、という概念は総じて西日本に多いですね。唯一、勢溜の壇のところにだけ虎口らしき構造を設けているのも、西日本に多い作りかな、と思いました。
三の丸のあたりには濃厚に石垣の痕跡が残っています。ちょうど城下からも見えるあたりでしょうか。全山を城塞化したうえに、その先に見えた石垣の威圧感は相当なものだったことでしょう。
なお、吉田郡山城は山腹に前身となる古城があったのですが、元就の代に山頂に本丸を移し、輝元の代までかかって今見る規模に仕上げました。古城は新・吉田郡山城の一部分となりましたが、今もなお独立した城郭としての雰囲気を残しています。そうした現状を踏まえ、古城の部分は本稿から切り離して語ることにします。

<2023.7.27記>
3回目となった吉田郡山城への訪城は、安芸高田市歴史民俗博物館にいらっしゃる、「さるお方」にお目にかかることが主な目的でした。博物館自体は展示物入れ替え?期間で実質休館だったのですが、旅程上この日しか訪れられる日がなく、そもそもの目的が「さるお方」にお目にかかることだったので、まあいいよね、と車を進めたのですが・・・当の「さるお方」が急病につきお休みという惨事に涙することとなりました。あー、何しに来たのだ、私たち。
嘆いても仕方がないので、噂に聞いていた博物館裏のお好み焼き屋さん「山小屋」でお好み焼きを堪能し(美味しかった♪)、とぼとぼと登城。近年の台風被害か、かつて墓域に入れて頂いたこともある毛利元就の墓の周辺でも倒木が目立つ状況で、山道も全般に以前より荒れた状態に見えました(心理的な問題もあったかもしれませんが汗)。主要部分を包んで八方に広がる尾根のそれぞれに腰曲輪を配しているのが吉田郡山城の大きな特徴だと思っているのですが、腰曲輪を一周するのも諦め、主郭周辺と釣井の壇、勢溜の壇あたりだけを眺めて下山してきました。あーなんか消化不良。まあ仕方ないですが。
吉田郡山城は、山全体に無数の曲輪が配された巨大な山城です。案内人がいないとくまなく回るのは難しいだろうと思いますが、いつかは(くまなくとはいわないまでも)ある程度のところまでは回ってみたいものだと思います。
ランク 国史跡、100名城、こんな城、広島県5位
石垣、堀
創築:建武3(1336)年、毛利時親、改築:天正18(1590)年、毛利輝元
毛利氏
アクセス  安芸高田市役所を目指せば、背後に聳える山が郡山城です。100名城スタンプは歴史博物館にあります。ここからでも歩いて行けますが、せっかく山腹に駐車場があるので車の人は更に前進し、行けるところまで車で登ると楽だと思います。車道の果てにもちゃんと駐車場がありますので。


吉田郡山城フォトギャラリー






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