福山城
ふくやまじょう



所在地:広島県福山市丸之内
最終更新日:2023.8.3

   
<2012.6.16記>
2011年の夏、やっと行くことができました。右隣の岡山県までは2度遠征したことがあり、左隣の山口県にも行ったことがあるのに、広島県は「通過したこと」しかなく、従ってこの福山城も、夜中に夜行列車で通過したり新幹線で通過したことはあったものの、訪ねていく機会にはついぞ恵まれたことがありませんでした。
待望の訪問機会に恵まれて、意気揚々と福山城に向かってみると、例の五層天守が「どどん」と出迎えてくれました。なるほど壮大な天守ですが、意外なくらいカメラアングルが少なくて。もっとびっくりしたのが貴重な現存建築である伏見櫓と筋金門で、周囲の木が大きくなりすぎて、なかなか美しく撮影できる場所が見つけられないのです。私の記憶にある福山城の写真の多くは昭和50年代に撮影されたものであり、それから20年余が経過して、その間に木がどんどん大きくなってしまったものなのでしょう。折角の名城なのに、これは惜しいことだと思います。石垣に張り出した湯殿(復元)も、石垣の下からとってこそなんぼの名建築なのに、木に遮られて真下からしか撮影できなくなっていますし。
さて天守ですが、壮大な五層天守を外観復元するために、内部を相当簡素に仕上げたのだな・・・ということが伺えました。現在ではこうした外観復元は事実上不可能になっているわけですが、「お城=天守」であって、天守を復元すればお城を復元したことになる、という考え方のもとに生まれた典型的な例だと思いました。
それでも、掛け値なしに素晴らしいと思うのが、本丸の石垣。築城術が円熟期を迎えた後に新たに作られただけのことはあって、これぞお城の石垣!と納得できる、高くて美しい傾斜を持つ石垣が、本丸をぐるりと取り囲んでいます。特に福山駅に向かって築かれた石垣は美しく、2段にわたって聳えたつ姿が実に秀麗です。
福山駅の南側で見つかった石垣遺構を残すか否かで物議をかもしたお城ですが、お城を大事にしようとするその意欲をもって、本丸周辺についても今一つ入念な手入れを加えたら、もっともっと注目を集めるお城になると思います。いつもはそんなにいろんなことを考えたりしないのに、このお城を見ていたら、「このお城をもっと理解し、愛してもらうにはどうしたらよいのか」といったことばかりを考えてしまいました。
福山城は水野勝成によって、江戸時代に入ってから新たに築かれたお城です。水野勝成という人物、戦国最末期においては傑出した武将であり、かつまた傑出した政治家でもありました。大坂の陣においては一方面軍の将として錚々たる外様大名を率いて後藤又兵衛の軍を撃破し、島原の乱にもその卓越した軍事能力を買われて出陣しています。そんな勝成には西国の抑えとして、広島藩の浅野氏と長州藩の毛利氏を同時に監視する役目が与えられ、幕府の肝いりで新たに築かれたのがこの福山城ということになります。お城の建造物にはちょうど当時破却された伏見城の遺材が用いられ、現在残る伏見櫓や筋金門は、伏見城から移築したものと伝えられています。
幕府の肝いりとはいえ、時代は次第に泰平の世となり、福山城についても「完成」させる意図がだんだん曖昧になりました。その結果、既に出来上がっていた本丸の北側に広がる沼沢地については、あまり手が加えられることもなくそのままとなり、北方に対する防御が極めて薄い、半ば未完成のお城となりました。その弱点を補うため、天守の北側には鉄板が張られたという、笑い話のような実話があります。この面妖な天守は昭和まで残されましたが、太平洋戦争によって敢え無く焼け落ちてしまいました。現在の天守は、南側は極力旧態を忠実に再現していますが、北側の鉄板は張られず仕舞いでした。「美観を損ねる」がその理由でしたが、今ならむしろ鉄板を張って、「日本唯一の鉄張り天守」として売り出した方が観光客も増えそうな気がします。
「見たか見てきたか福山のお城。前はお堀でボラが住む」とは、海に面した福山城の特徴と、何もないところに突如出現した巨城に対する、当時の民衆の畏怖にも似た気持ちが表れているものかと思いますが、現在の福山城は海から相当遠ざかり、堀についても大部分が消滅し、本丸のすぐ南側に鉄道が敷設されています(このおかげで新幹線からも大きな天守を間近に眺めることができるようになったのですが)。駅の南側からは三の丸と「舟入り」の遺構が石垣とともに見つかり、地下駐車場の建設と遺構保存との板挟みにあって、しばし議論の種になっていました。結局一部の遺構を地下に保存し、地下駐車場も作られることで決着しています。
でっかい天守の他に、いくつかの建築物が残っていたり復元されたりしています。伏見櫓と筋金門は国の重要文化財に指定されています。特に伏見櫓は三重の堂々とした櫓で、見た目にも大変美しい建物です。

<2023.1.21記>
2022年の夏、待ちに待った福山城天守リニューアルが完了しました。かつては大きな吹き抜けがあって、さながら「鉄筋コンクリートの張りぼて」のような感すら漂っていた天守は吹き抜けがなくなり、各階に充実した展示物を並べる博物館へと変貌しました。外観も最上階の意匠などが現存天守のものに極力近づけられ、格子窓が黒くなったせいかより精悍さが増したような気がします。そして最も大きな変化は天守北側の「鉄板張り」。さすがに鉄板というわけにはいかなかったようですが、限りなく当時の鉄板に近い形の黒い板が張られた姿は、これぞ唯一無二!の感が満載。以前訪ねた際にはどことなくぼーっとしていて、どこから撮影してもなんとなくしまりのない顔をしていた天守でしたが、いやはや実に華麗なモデルチェンジです。同じ天守とは思えないくらいで、譬えて言うならどこからどう見てもなんとも言えなかった感じの人がライザップに3ヶ月通って別人になってしまったかのような、それくらいのインパクト(どれくらいだ?)がありました。実はリニューアルオープンに先立ち、取材との名目で先行潜入させて頂き、その様子を城びとさんに掲載させて頂きました。そちらの記事もぜひご覧頂ければと思います(こちらです)。
一部が市街化された福山城ですが、意外なくらいその痕跡を街中に遺しています。建物の地下に残された石垣というのは他でも見たことがありますが、駐車場の表面に飛び出した石垣の最下段という構図は、全国探してもなかなか類似例が出てこないのではないかと思います。よくぞ残してくださいました。
およそ10年前、2012年に福山城について「城をやる」に記載した際には、「福山城の歴史的価値をもう少し上手にアピールできないものか」みたいな生意気なことを言い立てていたのですが、今の福山城はものの見事にアピールに成功しているようです。2023年1月にも福山城を訪ねる機会を得ましたが、この時は今をときめくアーティスト集団「チームラボ」による光のショーの真っ最中でした(おかげで17時に締め出されましたけれども(笑))。あのチームラボの誘致に成功しているのですから、力の籠り方が違いますよね。福山市のシンボルとしての福山城をアクセル全開で押し出す福山市のスタンスは、歴史的文化的遺産を観光資源としてもうひとつ上手く活用し切れていない自治体にとっても一つの重要な参考例となるのではないでしょうか。今後の福山城も大いに楽しみです。

<2023.8.3記>
福山市のふるさと納税クラウドファンディングで、福山城鉄板プロジェクトなるものが発表されたのが数年前。それなりの寄附を行えば天守に貼られる鉄板の裏側に名前を残せて、更にそれなりの寄附を行えばその名前を現地で自筆で記入できるイベントへの参加権が得られるという謳い文句にすっかり舞い上がり(笑)、「更にそれなり」の寄附をして、名前入れイベントがいつ行われるかと、それこそ心待ちにしておりました。
ところがその直後にコロナ禍に見舞われることとなり、イベントは延期に次ぐ延期。やっとのことで開かれたイベントは福山市民限定となり、「自筆の鉄板」はあえなくコロナの壁に阻まれてしまいました。うーん残念。福山城で自分で書いて、数人でもいいから拍手貰いたかったなー。
後日、「代筆で鉄板に名前を入れさせて頂きました」とのご案内を福山市さんから頂きました。どこに貼られたのかはわかりませんが、あの天守北側の鉄板のうちの一枚の裏側に、「小城小次郎」の名前があるはずです。確実に。天守最上階には寄附者の名前が掲載されたパネルも設置されました。イベントには参加できませんでしたが、後日福山城を訪ねた際に、名前があることを確かに見届けてきました。自分としては「更にそれなり」の寄附をしたつもりでいましたが、字の大きさから察するに、もっともっとそれなりに寄附した方が沢山いらっしゃるんですね。いやいさすが。あの程度の「それなり」で特別なことをした気分になっていた筆者の器が小さかったです。恥じております。
新装なった天守の中には素敵な展示物やアトラクションが盛り沢山。水野勝成の逸話に基づく「大坂城一番乗り」や「鉄砲的当て」は真剣に楽しいと思います。真剣になればなるほどずっこける仕組みでもあるのですが、それは現地でのお楽しみということで(笑)。
更に後日、何の前触れもなく福山市さんから荷物が届きました。中には質感たっぷりの木製トレーが一枚。何だろうと思ってひっくり返してみたら、福山城内整備のために伐採した木材を再利用したトレーでした。確かにかつての福山城は、伏見櫓の写真がまともに撮れないくらいに木々が成長していましたもんね。筆者の手元に届いたトレーが城内のどこにあった木だったのかはわかりませんが、もしかしたらあの伏見櫓と肩を並べていた木かもしれない、と思えばそれなりに感慨深いものがあります。使い道が見つからなくて困ってはいるのですが(笑)、何らかの形で大事に使おうと思っています。
ランク 国史跡、100名城、100選、百選、こんな城、広島県4位
天守(再建)、櫓(現存、再建)、門(現存、再建)、石垣、堀
創築:元和8(1622)年、水野勝成
水野氏、松平(奥平)氏、阿部氏(福山藩、100,000石)
アクセス  福山駅の目の前です。
もはや案内不要なレベルです(笑)。


福山城フォトギャラリー






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