太田金山城
おおたかなやまじょう


所在地:群馬県太田市金山町
最終更新日:2020.4.26

   
<2012.1.28記>
100名城スタンプの設置場所になるまで、このお城のことはよく知らなかったというのが実情です。いや、「石垣作りのお城」としてうすうす知ってはいたのですが、あまりに石垣が綺麗過ぎて、過剰復元のお城なのではないか・・と思っていた時期もありました。実際にお城を訪ね、資料館で発掘の様子や復元の経緯等を知るにつれ、それは大きな間違いであり、実に厳密な考証を経て復元されたのであることを知り、大変恐縮したものでした。
このお城の発掘調査結果は、関東の、いやもしかしたら全国の中世城郭研究に大きな影響を与えました。城内に辿り着くまでの道が桟道になっていたり橋になっていたり、という状況が明らかになったことは、現在残る未調査の山城においても、現在残る道筋がそのまま登城路ではない可能性を示唆しています。八王子城が発掘調査により、現代では失われてしまった大手道が発見・整備されたのと同じでしょう。
そういえばこのお城は、八王子城と瓜二つです。「アゴ止め」の手法を用いた石垣の代表例と言えば太田金山城と八王子城ですし、「長塁」を設けて「点」ではなく「線」「面」で守ろうとする基本プランまでそっくりです。単なる後北条の手による、というよりもっと濃厚な、密接な繋がりを感じるお城です。八王子城と太田金山城という二つのお城が揃って100名城に入っているのも、何かのご縁と言うことになるのでしょうか。
このお城は駅から遠いことと、高速出口からも遠いことが難点でしたが、北関東自動車道の開通で、自動車のアクセスが飛躍的によくなりました。折角道路もできたことですし、また訪ねてみたいお城です。
ちなみにこのお城の石垣、二の曲輪以下が復元されていますが、実城と呼ばれる新田神社の方にも石垣が残存しています。むしろそちらの方が感動するかもしれません。
太田市近辺は源氏の名族・新田氏の発祥の地であり、太田金山城も文明元(1469)年に新田氏の一族である岩松氏によって築かれたのが最初です。この時代のこの地域の第一級史料と言ってよい「松陰私語」によって築城年代がわかるという意味でも、このお城はやたらと貴重です(現在の姿は文明年間以後の修築によるものだとは思いますが)。岩松氏はその後、家臣の由良氏に取って代わられ、由良氏はやがて後北条氏の支配を受けるようになります。
由良氏はもともと岩松氏の家臣であり、横瀬氏を名乗っていましたが、主家である岩松氏から実権を奪って後、由良氏を名乗ったもののようです。上杉謙信と北条氏康、それに武田信玄といった群雄に挟まれながら、半独立勢力としてよく頑張りますが、由良国繁の代になって後北条氏に城を明け渡し、小田原の役では小田原城に籠って豊臣軍と対峙します。ところが国繁の母・妙院尼が私兵を募って前田利家に従軍し、その功もあって豊臣・徳川の世にあっても7千石の高家として、明治まで家名を存続させます。由良氏、なかなかすごいです。
そういった中、後北条氏に接収された金山城には、濃厚に後北条氏の手が加えられることとなります。その結果、八王子城と同様の技法(アゴ止め石)による石垣が見られ、八王子城と同様の長塁による防御線が設定される等、数多くの点で八王子城との類似性が認められるお城となったのでしょう。
なんといってもこのお城の特徴は、石垣。関東では珍しい、総石垣造りの山城として、発掘・整備後つとに有名になりました。

<2019.11.8記>
オフ会で初めて太田金山城を訪ねて以来、何度となくこのお城を訪ねてはいるのですが、城域が広大なせいか、なかなか全てを回りきれた気になれません。毎年のように繰り返される発掘調査によって、少しずつ新発見が重ねられていることも大きいのでしょう。現在は大手道の様子がかなりわかってきています。当初は通路すら見つからなかったようですが、現在では通路の他に排水路や石垣等も掘り当てられています。このお城、どこまで石垣で固められていたのでしょう。ちなみに最近の訪城では「北城」域まで足を延ばしました。さすがにそちら側までは石垣を築いてはいなかったようでしたが。
太田金山城は小田原の役の後に使われた形跡がありません。従って当然、豊臣系の大名による、いわゆる「織豊系」の改修が行われていないお城ということになります。石垣の城がほぼ皆無だった関東にあって、近世城郭とも見紛うような総石垣の城がたった一ヶ所、この太田金山にあるという不思議。太田金山城は、関東城郭史上「突然変異」とでも呼ぶしかないような、特別なお城です。

<2020.4.26記>
2019年秋に再訪した際、太田金山はあいにくの雨。山頂からの絶景を楽しめる状況にはなかったのですが、その代わり、霧に包まれた太田金山城を見る機会に恵まれました。濃い霧が木々の色彩を奪い取り、墨絵のような景色が広がっていました。もともとフォトジェニックなお城ではあるのですが、またひとつ太田金山城の魅力を知った気分です。
ランク 国史跡、100名城、こんな城、群馬県2位
建物(復元)、石垣、土塁、堀
創築:文明元(1469)年、岩松家純
岩松氏、由良氏、後北条氏
アクセス 太田駅からだとちょうど一時間くらいで山頂の新田神社に辿り着きます。歩けない距離ではありませんが、車の方がより便利です。山麓のガイダンス施設を見た後、更に車を進めて西城域内にある駐車場に車を置けば、ほぼ高低差なく主要部分を見て回ることができます。
100名城スタンプはガイダンス施設ではなく、主要部分に復元されている掘立柱建物の中にあります。


太田金山城フォトギャラリー





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