中山城
なかやまじょう

(群馬県吾妻郡高山村)
最終更新日:2014.3.9

地図

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<2014.3.9記>
噂話で「沼田城から岩櫃城に向かう間にタダモノではない城がある」という話を小耳に挟み、噂の真偽を確かめに行ってきました。沼田から岩櫃に向かう国道145号線が県道36号線と交わってすぐ先の右側に、道路が膨らんで駐車スペースになっているところがあります。そこに車を置くとその脇にしっかり「中山城」の碑が立っています。いや、碑など見ずとも、お城を見なれた人ならば、中山城のある山が見えた瞬間に「なんじゃこりゃ」となることは間違いないでしょう。
台地上の山に刻み込まれた堀切の数々が台地の端まで伸びているために、台地を横から見るとお城の形がはっきりわかるのです。本丸一帯は美しい針葉樹林となっていますが、木を取り払ったらそのまますぐにでも現役の城郭として活用できそうです。
「中山城」の碑からお城の右側(東側)に沿って、「中山城登り口」の案内板が点々と続いています。「なんて親切なんだろう」と思ってこの案内板についていくと、お城の直前で通路が消えて、草むらへと突っ込む羽目になります。その間、およそ100m。私が行った時がたまたま草刈り前だったのか、いつもそうなのかはわかりませんが、どうしてもこの草むらを突っ込まないとお城に辿り着けないのはなんとも不思議でした。もしかしてこのお城、今でも籠城を意識していたり・・・。
Data
ランク -
土塁、堀
創築:天正10(1582)年、北条氏政・氏直
後北条氏
天正11年の北条(きたじょう)高広書状によれば、天正10(1582)年に北条氏政・氏直父子が白井城に滞在した時に一軍を中山に派遣しお城を普請したとの記録があることから、このお城はこの時に作られたもののようです。上州方面における後北条氏の楔ということになるでしょうか。近隣には沼田城から見てほぼ等距離の場所に長井坂城も存在し、こちらも後北条氏のお城と言われていますので、言ってみれば一時期における後北条氏の最前線を任されたお城ということができます。その役割は街道の抑えでもあり、駐屯地でもあり、といったところでしょうか。
後北条氏のお城だとすればこのお城は天正18(1590)年にはその役割を終えたということでしょう。ほぼ後北条氏以外の手が入らないお城であったことが確認できそうで、後北条氏のお城造りの粋が凝縮されているお城と言ってもよいでしょう。もっと知られてもよいお城ですね。
お城は台地上の東寄りにほぼ正方形の本丸を置き、周囲に二重、ところにより三重の通路兼用の堀切を掘り込んで、10郭くらいの曲輪を梯郭式に配する、なかなか本格的な作りです。直線的でところどころに直角の折れを用いる堀の形やその角度、規模を見るに、戦国時代後期の「土の城」としての完成期に近い頃に作られたお城であるとの考察に「なるほど」と唸ってしまう要素が満載です。
上の文章の「100m」さえクリアできれば、あとは大変見学もしやすいお城ですから、沼田城や岩櫃城を訪ねる際にはこちらにも立ち寄るとよいでしょう。





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