長井坂城
ながいさかじょう

(群馬県利根郡昭和村)
最終更新日:2014.11.24

地図

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<2014.11.24記>
何度となく上州のお城を訪ねる中でも、この長井坂城を予定に組み込むのは躊躇してきました。目印が少なくて、迷わず辿りつける自信がなかなか持てなくて。何度か試した結果、カーナビでは「昭和の森ゴルフ場」から左に寄せるか、「赤城高原サービスエリア」から下に寄せるかして、関越自動車道の「長井坂トンネル」の真上にセットするのがよさそうです。現地近くを通る2車線の林道を北上してゆく場合、道路の左側に「←長井坂城」の地味な看板が出てきます。更にもう一回「←長井坂城」の看板を見て左に曲がり、最初の角を右に曲がると、突き当りのあたりが長井坂城です。遺構がしっかりしている割には、最後までお城に近づいている実感が持てず、不安になるお城です。駐車場もありません(畑しかないので、どこに路駐してもそれほど問題なさそうではありますが)。
最初に訪ねた日は、雪!赤城山麓の膳城や山上城では晴れていたのに、長井坂城だけ雪!です。見た目は平地ですが、それだけ山の上に登ってきていることを意識させられます。ただ、うっすらと雪化粧が施された城跡の風景は実に美しく、遺構の素晴らしさも相俟って、行程の難しさを帳消しにしてくれました。
Data
ランク 群馬県5位
土塁、堀
創築:永禄3(1560)年、上杉氏 改築:天正11(1583)年頃、後北条氏
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歴史的には上杉謙信の関東出兵の際の中継基地のひとつとして作られたものとなっており、永禄3(1560)年築城というのが一般論のようです。上杉氏によって使われていた頃の方が有名なのですが、現地に行くと「あれ?後北条?」と考え込んでしまう城めぐりの先達様は数知れず。実際、沼田街道を城域内に取り込んでしまう築城法は足柄城や山中城でも見られた後北条氏お得意の手法であり、直線的かつ角が多い縄張りも後北条氏の色が濃く出ています。結局のところ、天正10年代(すなわち後北条氏の版図が最大化した頃)に後北条氏によって大きく手を加えられたものが現在の姿ということになりそうで、上州に深く食い込んだ後北条氏の城、という評価でよいようです。
お城は、ど真ん中をまっすぐに沼田街道が突っ切るという斬新な構造です。堀底道のような街道を挟んで直線的にいくつかの曲輪が並びますが、台地の突端に位置しているので南側から見ると平城、北側から見ると険しい険しい山城です。後北条氏にとっての仮想敵は北側なはずですが、縄張りを見る限りでは防御正面は南側にあるように見受けられます。遺構の立派さの割にはどう使われていたのかよくわからないという点でも、話題満載のお城と言えそうです。





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