国峰城
くにみねじょう

(群馬県甘楽郡甘楽町)
最終更新日:2017.1.3

地図

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<2017.1.3記>
桜の季節に訪ねた国峰城。あまり知られていないのですが、国峰城には山麓に大外郭線を構えていて、外郭線の土塁の一部が今も田んぼの中に残っています。その土塁上に咲く桜が実に綺麗で、しばし見とれてしまいました。
国峰城は山頂部の曲輪こそ小さいのですが、北麓にかけて比較的大きな曲輪を構えています。そこの桜も概ね満開で、風もないのにはらはらと花びらが舞っていました。
人ひとりいない国峰城で、誰にも顧みられることのない、満開の桜。
Data
ランク -
土塁、堀
創築:不明、小幡氏
小幡氏
小幡氏のお城です。小幡氏は児玉党の流れを組むと言われ、13世紀には国峰を本拠としていたようですから、相当に古い一族です。ただ周囲を切り従えるだけの力を持っていたわけではないため、武田氏に攻められたり長野氏に攻められたり後北条氏に攻められたりしながら、最後は小田原の役で上杉氏を中心とする兵団に降伏・開城してその歴史を閉じました。小幡氏自身は小田原城に籠っていたようですが、いずれにしても国峰城は小幡氏とともにその役割を終えたことになります。
国峰城はそんな小幡氏が(時々攻められたり追い出されたりしながらも)守り続けたお城で、今残る曲輪を見ると、山頂の曲輪群には居住するだけのスペースはありませんが、北麓の御殿平あたりの曲輪が相当な広さを持っています。小幡氏はこの御殿平に居住し、いざというときには山頂の曲輪群に籠ったのでしょう。山頂の曲輪群は随所に竪堀、横堀、堀切が要領よく構えられ、最低限の普請で最大限の効果が上げられるように工夫されています。また、国峰城に繋がる谷には総構が設けられ、国峰城は近寄ることすらままならぬ要害となっていました。国峰城を訪ねる際には、田んぼの中の土塁も見逃すことがないようにしましょう。





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