小泉城
こいずみじょう

(群馬県邑楽郡大泉町)
最終更新日:2014.11.8

地図

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<2014.11.8記>
地図で見ると、そこがお城であることがはっきりわかります。そんなわけでいつかは行ってみたいと思っていたのですが・・・太田金山城オフのついでに立ち寄れそうだった最初のチャンスは、集合時間が迫っていた上に意外なくらいに道がわからず、立ち寄ることすらできずに通過してしまいました。
次のチャンスが訪れるまで結構な時間がかかり、何年もたったある冬の日に漸く訪ねることができました。この時も肝心なところで道に迷い、近くにいるのになかなか近づけないとういうジレンマを味わうことになりました。レンタカーのカーナビでは堀が表示されず、「小泉城跡」も表示されません。城跡は「城之内公園」という名の公園になっていますが、これもカーナビには表示されません。近隣の中学校も「北中学校」が正式名称。「大泉町」だからと「大泉北中」などと打ち込むと、練馬区の大泉に連れていかれます。近くの「小泉町駅」も、「こいずみちょうえき」でなく「こいずみまちえき」と打ち込むと出てきません。カーナビ的には意外と難儀な場所なのです。ただ、たどり着けさえすれば、公園の東側には立派な駐車場もあります。結局のところ、お城を示す案内板が城内にしかないことがわかりにくい理由ということでしょうか。
お城は、本丸の土塁と堀が立派です。私が見てきた中では、栃木県の上三川城に似ている印象です。公園内はとても静か。犬を連れてお散歩する老人と、サッカーボールで遊ぶ少年たちと。
「あっ!」
少年の蹴ったサッカーボールが、外側の堀に落ちてしまいました。コンクリートで護岸された堀には、堀底に降り立つべき道もなく、少年たちは大騒ぎしながら棒を使ったり石を投げたりして、必死になってボールを拾い上げようとしていました。
Data
ランク -
土塁、堀
創築:延徳元(1489)年、富岡直光
富岡氏
富岡直光の築城と伝えられています。富岡直光は結城持朝の子なのだそうで、この富岡直光を始まりとする富岡氏がやがて小泉氏を名乗り、代々この城に居住していたもののようです。富岡氏は後北条氏に仕え、後北条氏の命で各地を転戦しますが、最終的には本拠地である小泉城を小田原の役で落とされ、そのまま小泉城は廃城となり、富岡氏も歴史の表舞台から消えてゆきます。
お城は中世城館の名残を留める方形の本丸と東曲輪を外堀が囲む平城で、現在も本丸を囲む堀は全周残る他、外堀も北の方に一部残っています。戦国時代の平城としては実によく残っている方でしょう。





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