白川城
しらかわじょう

(福島県白河市)
最終更新日:2017.3.6

地図

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<2017.3.6記>
白河市には国指定の城柵関連史跡が三つもあります。白河小峰城と白河関、それにこの白川城。至近の間に歴史も成り立ちも異なる三つの国史跡を持っているなんて、白河市はなんて贅沢なんでしょう(笑)。
で、白川城の写真というと、上の写真にも掲載している「長い階段」が圧倒的に多くて。これ以外に見どころがないのかどうかも知りたくて、とうとう実際に訪ねてみることになりました。
地図上では、この階段のすぐ手前まで車でも行けそうな感じになっているのですが、実際には路面の凹凸がひどく、普通の車では行けそうな気がしません。私は県道からお城の入り口に入ってすぐの路肩で車を諦め、歩いて登りました。それでも大した登りではないですし。
さて白川城ですが、階段を登った先の主郭以外では、主郭周辺の腰曲輪(横堀?)くらいしか目立った遺構は見出せませんでした。縄張図も何も持たずに行ったので、もしかしたら未踏の山中にものすごい遺構があるのかもしれませんが・・・
Data
ランク -
土塁、堀
創築:康元元(1256)年、結城祐広
結城(白川)氏
白川結城氏の居城です。白川結城氏は、源頼朝に従って功あった結城朝光が白川の地を与えられたのが始まりで、朝光の孫である結城祐広が実際に白川に下向して白川城を築いたとされているようです。実際に白川城が築かれたのはもっと後かもしれませんが、いずれにしても白川の地には鎌倉時代の始めから戦国時代の終わり頃まで、一貫して結城白川氏が居住していたということになります。その割には白川城の構えはあっさりしていて、戦国城郭特有のぎらぎらした感じがありません。白川結城氏は南北朝時代に南朝に属していた時期も長いので、もしかしたらいわゆる南朝系の国史跡か・・・?とまで邪推してしまったのですが、白川城が国史跡に指定されたのは平成28(2016)年のこと。さすがに南朝はないだろうと調べなおしてみたら、白川城の遺構は主郭のある山頂を中心に東西950m、南北550mに及ぶのだそうで、その範囲に無数の平場を備えた巨大城郭なのだそうです。なるほどそれなら理解できます。白川結城氏は天正18(1600)年の奥州仕置まで延々と白川城を守り続けますが、江戸時代には白河小峰城がその中心となりますので、白川城は近世城郭への改造もなされていないお城ということになります。そのあたりが国史跡に値すると評価されているわけですね。





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