二本松城
にほんまつじょう



所在地:福島県二本松市郭内
最終更新日:2020.1.7

   
<2011.8.6記>
南北朝時代から戦国時代まで、名門・畠山氏の本城として栄えました。その後、伊達政宗が畠山氏を攻撃するに当たり、畠山義継が政宗の父・輝宗を拉致して二本松城に引き返そうとする事件が勃発します。この危機に際し、政宗が実父輝宗もろとも畠山義継を射殺した事件はあまりにも有名ですね。
豊臣政権以後、この地は会津領の一部となり、上杉氏、蒲生氏、加藤氏の城代が置かれたりしましたが、寛永年間に白河小峰から丹羽氏が二本松藩主として入ることで、あらためて近世城郭としての体裁が整えられ、現在の姿になりました。この時代には珍しく、ちゃんと天守も上がったようですから、「築城の名手」丹羽一族に白河小峰と二本松のふたつのお城をきちんと整備させることで、奥羽をきちんと固めておきたかったのではないか・・・とも言われているようです。
このお城は幕末にも名を轟かせます。会津白虎隊と並ぶ「二本松少年隊」の活躍はあまりにも有名ですが、少年隊の活躍も空しく藩主が逃亡(!)。石高は半減の憂き目を見て、二本松におけるの戊辰戦争は、悲劇のうちに終結しました。
城郭は大きく山上の本丸、二の丸と、山麓の三の丸とに分かれています。本丸石垣上にはかつて城郭風建築物が乗っていたこともありますが、平成になってきちんと整備され、石垣なども積み直されました。山麓には城門などが再建され、お城らしさが引き立っています。

新入社員時代の同僚夫妻の結婚式に向かう途中、二本松で途中下車して二本松城に向かったのが初めての二本松城訪問です。バスで行くか、タクシーで行くか、あれこれ考えているうちに足が勝手に動き出し、気が付けば城下町をてくてくと通り過ぎ、一山超えて城の麓へとやってきてしまいました。が、ここまでに要した時間があまりに長く、かつ式服&革靴のいでたちであったこともあって、山上の本丸まで向かうことは断念しました。その分、二本松少年隊の銅像を相手に、いろんな角度で写真を撮って、まあなんとなく満足して戻ってきました。しかし、その間、ほとんど人に出会わなかったような気がするのは、たまたまだったのでしょうか。。。

<2013.10.5記>
その後、福島の城巡りの機会を得て、今度こそ山上まで行ってきました。ところが今度は東日本大震災の直後で、石垣崩落の危険性があるため本丸は立ち入り禁止・・・二本松城、私にとっては現在も難攻不落です。若いカップルがどう見ても上り坂には向かない格好で山上に上ってきて、立ち入り禁止の本丸を見上げてとっても残念がっていました。特に、ロングスカートにサンダル履きの女の子の方が悔しがっていたのが、なんとも印象的でした。

<2020.1.7記>
100名城スタンプ押し直しの旅で、ついに本丸へと足を踏み入れました。ただこの時は本丸に入れた感動よりも、石の城と土の城とのあまりにも見事な融合っぷりにすっかり魅了されました。特に、お城の北面に残る堀切や横堀などは、戦国時代の「土の城」の迫力そのままの姿。整然と積まれた本丸の石垣とはまさしく好対照です。石垣の部分も土塁や切岸の部分ももともと絵になる城だなと思っていたのですが、この時の訪問でフォトジェニックぶりを改めて実感。その美しさは下のフォトギャラリーでご確認あれ。
ランク 国史跡、100名城、こんな城、福島県7位
櫓(再建)、門(再建)、石垣、土塁、堀
創築:応永21(1414)年、畠山満泰 改築:寛永20(1643)年、丹羽光重
丹羽氏(二本松藩、107000石(戊辰戦争後に57000石))
アクセス 二本松駅からも歩けますが、坂を上って下ることになります。駅前の道をまっすぐ北に出て突き当りを右折。二本松羊羹のお店の角(久保丁坂入口)を折れてまっすぐ進めばお城が見えてきます。徒歩30分くらいの行程です。車なら二本松城に大きな駐車場が備えられています。さすがは桜の名所。
100名城のスタンプは久保丁坂の途中、大手門跡近くにある二本松市歴史資料館に設置されています。


二本松城フォトギャラリー





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