桑折西山城
こおりにしやまじょう



所在地:福島県伊達郡桑折町
最終更新日:2017.5.14 

   
<2017.5.14記>
桑折西山城に着いた頃には、雨足が再び強くなり。しかも悪いことには、大手道の周辺には手ごろな駐車場がありません。大手道は車一台通るのがやっとな道で、どこまで進めるのかもわかりません。大手道からの侵入を断念して西側から山を登り、「西館跡入口」という石碑の立つ場所からの進入を試みましたが、何しろ雨が激しくて・・・広大な桑折西山城を歩き回るにはあまりにも不適な天気なので、泣く泣く引き返して参りました。
桑折西山城は伊達氏の歴史にとって極めて重要な位置付けにあるお城でした。そもそも源頼朝による奥州攻め(奥州合戦)の攻によって源頼朝から伊達郡を与えられた常陸入道念西なる人物が伊達を名乗ったのが伊達氏の始まり(異説ありますが)。伊達市は文字通り伊達氏発祥の地です。時代はぐっと下がって16世紀、天文元(1532)年、伊達稙宗(伊達政宗の曽祖父)が桑折西山城を本城とします。その後、稙宗とその子・晴宗との間が不和となり、桑折西山城も同族相争う中で戦乱に巻き込まれますが、足利義輝の仲介によって父子は和睦。稙宗は丸森城に移って隠居し、晴宗も桑折西山城を捨てて米沢城を本拠としたため、桑折西山城は以後廃城となりました。
桑折西山城はこうした経緯から、戦国時代の中でも比較的古い時代の様相を残しているものと推測できます。縄張を見ると現在「本丸」と称される東館部分の他に中館、西館という三つの大きな区分を有しており、いわゆる群郭型に属するお城であることがわかります。群郭式は戦国大名の力が当主に一本化される前の典型的な城郭形態と考えられますので、父子相争うに至った戦国大名化以前の伊達氏の本城に相応しい姿を残していると言えるでしょう。こうした歴史的価値が評価されたこともあり、平成2(1990)年には国の史跡に指定されています。
なお、中館及び西館の方がお城の遺構がはっきりしているのは、東館周辺が後に砲台として使用された際に改変された可能性があることによるものでしょう。また、西館を中心に残存する石垣は後世の造作ではないかと言われているようです。
ランク 国史跡、山城100
石垣、土塁、堀
創築:12世紀、改築:天文元(1532)年、伊達稙宗
伊達氏
アクセス 史跡指定を受けている割には案内看板が少なく、カーナビでもヒットしません。近隣の寺院もカーナビ的には心もとないので、お城の南東にある「老人福祉センター桑折大かや園」をセットして行きました。同園まで来たら東北道を潜ればあとはほどなく桑折西山城→の案内看板を見つけることができます。そこが大手道です。
駐車場はありません。また路駐するスペースもありませんので、山を登って西館まで行ってしまうか、大手道の西側にある常弥寺の駐車場をお借りするくらいしかなさそうです。





inserted by FC2 system