福島城(大仏城)
ふくしまじょう(だいぶつじょう)



所在地:福島県福島市
最終更新日:2017.5.1 

   
<2017.5.1記>
相馬中村から山形・米沢に至る日帰りの旅の起点に選んだのは、福島でした。レンタカーを借りて相馬中村への道を辿る前に、行きがけの駄賃とばかりに立ち寄ったのが、福島県庁。そう。ここはかつて福島城があった場所でした。
城跡の上に県庁が居座るのは福井城や駿府城、前橋城の例もあって、決して珍しいものではないのですが、例に挙げた三城に比べると、福島城の場合はその埋めっぷりが甚だしいことで。。。それこそなにもないことを覚悟して現地を訪ねたのですが、自転車置き場の向こうに居心地悪そうに鎮座する福島城址の碑の他にも、庭園跡とか土塁とか、それなりに残っているものはあるんだな、というのが実感でした。でも前橋城より扱いはひどいですかね。
福島城のある場所は、古代に陸奥国府が置かれた場所とも言われています。後々に福島県ができた際、どうみてもこちらの方が大きそうな会津若松ではなく福島が県庁所在地に選ばれたのは、単に会津藩が明治新政府から嫌われていたこと以外にも、福島という場所がもともともっていた地勢というか地の利があったのでしょう。国府の有った場所には大仏城、後に杉目城、杉妻城とも呼ばれた城郭が構えられ、天正年間には伊達晴宗の奥方様(裁松院)の隠居の地となっていたそうです。その後、福島は蒲生領となり上杉領となり、米沢藩が30万石から15万石に減少した際にこの地が宙に浮き、それから福島藩が新たに立藩されて本多氏、堀田氏を経て板倉氏が入って以降、福島藩3万石に落ち着いて明治に至ります。明治になって福島県庁に役目を譲った幕末の福島城は、延宝7(1679)年に福島藩を立藩した本田忠国の時代に整備されたものでしょう。この時の福島藩は15万石の大藩でした。そこから3万石の城に落ちるわけですから、お城の維持管理もしんどかったことでしょう。もしかしたら明治になる頃には、既に相当規模が縮小していたのかもしれませんね。
ランク -
土塁
創築:不明、改築:延宝7(1679)年、本多忠国
伊達氏、木村氏、本庄氏、芋川氏、本多氏、堀田氏、板倉氏(福島藩、30000石)
アクセス 迷いようがありません。福島県庁そのものが福島城です。県庁の駐車場がそのまま使えます。





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