松尾城 まつおじょう |
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(福岡県朝倉郡東峰村) 最終更新日:2015.8.2 |
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<2015.8.2記> 益富城を後にした我々は、そこから至近にある筑前六端城の松尾城を目指しました。ところが現地に到着してみると、これが見事な霧の中(笑)。 何しろ目指す山が麓から山上まで悉く霧に包まれているのです。こじんまりとした石垣の残り方がとってもいい感じのお城なので、ここは嫁にも気に入ってもらえるのではないかと密かに期待していただけに、残念至極。 仕方なく、近隣の「道の駅小石原」で昼食となりました。この道の駅のご飯がなかなかおいしく、しかも小石原焼の即売所にもなっていたので、松尾城に行けなかった時間をまるまる食器選びに使うことになりました。結局結構買い込んだので、現在普段使いの食器として使っているもののうち、小石原で購入したものが半分近くを占めるという事態に至っています(笑)。 |
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石垣 | |
改築:慶長5(1600)年、中間統胤 | |
中間氏 | |
黒田六端城の城主がみんな黒田官兵衛に昔から仕えていた武将たちで、任せられた石高も軒並み10000石を超える中、ここの城主になった中間氏だけは黒田氏が中津城に入ってから仕えた九州の武士で、石高も2500石しかありません。それでも六端城の一つを任せられるわけですから、黒田氏から見た中間氏への信頼感は絶大だったのでしょう。統胤は後に黒田姓も賜っています。 中間氏が入る前、ここには宝珠山氏がいたと言われていますが、宝珠山氏のこともその時代の松尾城のこともよくわかりません。それより中間氏が入った後の松尾城が特筆もので、小石原を見下ろす小山の上に作られた長方形の主郭だけを石垣で囲むという、典型的な(かつ省力的な)織豊系城郭の作りになっています。 松尾城は平成になって全面発掘がなされ、検出された石垣基礎をベースに石垣を積み直し、整備されています。 |