丸岡城
まるおかじょう



所在地:福井県坂井市丸岡町霞町
最終更新日:2024.4.13
<2012.7.18記>
初めてこのお城を訪ねた日はまだ雪がどっしりと残っていて、丸岡駅に降り立った私と友人は、駅前から丸岡市街に向かうバスが1時間に1本もないこと、タクシーが出払っていること、そして何より駅前に何の施設もないことに愕然として、電線と雪原以外に何も見えない一本道を、遠くにぽつんと見える天守目指して30分以上、てくてくと歩いたものでした。
20年以上ぶりにこのお城を訪ねた日は、かんかん照りの真夏のような日で、天守に降り注ぐ強い日差しを恨めし気に振り仰ぎながら、さして高くもない丘に登り、天守を見上げたものでした。そんな中、変わらないのは天守の姿。日本最古なのかどうかはさておき、無骨で飾り気のない天守は、その無骨っぷりでやはり、唯一無二。全国屈指の傾斜角を持ち、階段というよりはむしろ梯子のような階段を上って降りて、石段を降りてふと見上げれば、観光ついでと思しき若いお姉さんが数名、天守へと登って行くのが見えました。うーん。でも、あの階段の傾斜角を思えば、このお城、絶対スカートで登ってはいけないお城のような気がするのですが。
丸岡城は天正3(1575)年、福井北庄に入った柴田勝家の甥、柴田勝豊によって築かれたのが最初のようです。天守はいつ作られたのか、という論争にはまだ決定打がないようですが、全国最古かどうかはともかく、古いものであることは間違いないと思います。なお、昭和の福井地震でほぼ全壊していますが、古材を基にほぼ忠実に再現されましたので、現存天守として扱われています。天守は現存唯一の「石瓦」。凝灰岩で出来た瓦はうっすらと青く、独特の味を出しています。寒冷地のため、土の瓦だと染み込んだ水が凍って瓦を割ってしまうというので、石瓦が用いられたのだとか。
現在は失われていますが、このお城は最大幅100m以上を誇る、五角形の水堀に囲まれていました。現在でも周囲の道路の形で、五角形の堀の痕跡を辿ることができます。
丸岡城は柴田氏の後、青山氏を挟んで一時福井藩の一部となり、福井藩家老としての本多成重が在住しました。成重は「一筆啓上」の手紙で有名な戦国時代屈指の頑固者・本多作左衛門の長男で、そんないきさつから丸岡城では現在も一筆啓上にちなみ、短い手紙のキャンペーンを実施しています。一筆啓上の作左衛門自体は丸岡に来たことがないのですが、そんなことはどうでもよいですよね。
本多氏は福井藩から独立して、丸岡藩主として4代務めますが、4代目でお家騒動から改易となり、代わってキリシタン大名だった有馬氏の子孫が入ります。有馬氏、こんなところで明治まで大名になっていたんですね。しかも丸岡藩に入る頃には、譜代大名の仲間入りをしています。

<2018.6.14記>
通算3回目の訪城は、オフ会ついでの立ち寄りとなりましたが、流石はお城に詳しい皆様のこと、私の知らない丸岡城豆知識をいっぱい披露して頂きました。極めつけは「丸岡城の石垣はほとんどが昭和の積み直しらしい」ということ。なるほど。天守台には昭和の石工さんによる刻字まで残されています。これだと文化的価値は半減してしまいますね。福井地震から見事に立ち直ったのはよいのですが、復興の過程で何かしらの作為が入るのはあまり頷けるものではありませんね。
Data
ランク 100名城、100選、百選、こんな城、福井県6位
天守(現存)、石垣
創築:天正4(1576)年、柴田勝豊
柴田氏、青山氏、今村氏、本多氏、有馬氏(丸岡藩、50000石)
JR北陸本線の丸岡駅からはちょっと離れていて、丸岡駅も決して賑やかな駅ではないので、このお城は車で訪ねることをお勧めします。車なら北陸自動車道の丸岡インターからも近くて便利です。
丸岡城周辺には公共施設が沢山あり、駐車場も広大です。

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