北ノ庄城
きたのしょうじょう

(福井県福井市)
最終更新日:2015.12.21

地図

<2015.12.21記>
福井城の城門跡石垣のその下に、一段と古い石垣が発見されたのは、もうずいぶん前のことだったと思います。
これぞ北ノ庄城の跡!ということで、柴田神社の境内が北ノ庄城の跡と認定されました。
石垣は基礎部分しかなく、それも相当地中の奥深くに存在しているので、こうやって上から覗き込むしかないのも仕方がないのでしょうね。これだけでも、この地下に巨大な城郭が眠っているという事実を感じるには十分かも。
そういえば、隣の資料館にある「九重の天守」を見損ねてしまいました。
Data
ランク -
石垣
創築:天正3(1575)年、柴田勝家
柴田氏
天正3(1575)年、柴田勝家が越前支配の拠点として福井平野のど真ん中に堂々と築いたのが、北ノ庄城です。この地には後に福井城が天下普請によって築かれますので、北ノ庄城の痕跡を示すものはすべて地中の奥深くへと埋もれてしまいました。現在、どれだけの遺構が未発見のまま埋まっているのかはわかりませんが、掘ればまだそこそこの遺構は出てくるのでしょう。この地には北ノ庄城、福井城という時代の異なる二つの大城郭が、それぞれ街の中に眠っていることになります。
北ノ庄城と言えば、何しろ柴田勝家の終焉の地であり、それは同時に悲劇の姫・お市の方の最期を看取った場所でもあります。お市の方の生んだ三姉妹のうち長女の茶々が後に淀の方となるのは有名な話ですが、この茶々さんは小谷城、北ノ庄城と二回もの大落城を経験した末に、史上最大の落城劇となる大坂の陣の主役の一人を務め、大坂城に散るわけですから、それはもう大変な人生です。そんなこんなを全て土中に封じ込め、北ノ庄城は地上に顔を出したほんのわずかな保存石垣の他のすべてのものを、今も地中の奥深くに眠らせています。





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