越前大野城
えちぜんおおのじょう



所在地:福井県大野市城町
最終更新日:2018.5.22
織田信長の重臣・柴田勝家の与力であった金森長近が越前半国を賜り、最初は朝倉氏の旧城・戌山城に入ったもののすぐに築城をはじめ、5年の歳月をかけて完成したのが越前大野城です。完成したのは天正8(1560)年ですから、天下統一から遡ること10年前。近世城郭としては最古級のお城と言え、織豊系城郭としても古い部類に入ります。
山上に残された複雑な形状の天守台には、複雑な形状の天守が乗せられました。複数の建築物を一体化した特異な形の天守は、石垣によって形作られた空間を余すところなく用いる金森長近の築城術の特徴とも言えます。類似事例は長近が後に築城する飛騨の高山城にも見られたようですが、こちらは江戸時代にとことん破壊されてしまいました。
山城亡き今、近世城郭の草創期に築城され、古風な石垣をよく残す越前大野城は(昭和に作られた模擬天守を差し置いても)貴重な存在でしょう。
なお、越前大野城には金森氏の後、越前方面を治めた大名の支城として用いられ、更には越前松平氏、土井氏によって治められた大野藩の藩庁として明治まで機能しました。明治になって建物はことごとく破却されましたが、昭和43年になって他の城郭の例を参考としながら小さな模擬天守が建てられました。実はこの模擬天守、天守台の半分も使っていません。
大野城と言えば、第三の「天空の城」としての知名度も高まっています。この地域は秋になると綺麗な雲海に覆われ、越前大野城の小さな天守はちょうど雲の海に浮かんで見える、という仕組みです。竹田城備中松山城とも並び称される天空の城、一見の価値あり、です。

<2015.12.18記>
越前大野城は、車で登れるものだとばかり思っていました・・・
山の周りを2回くらい車でくるくる回りましたが、どこにも自動車進入路はありません。
「この城は、歩いて登る城だったか・・・」
この日、雨の中を大聖寺城村岡山城に登って下りて来た身にとって、車で登れると思っていたお城に歩いて登るとなると、なかなか気力が出ないものなのです。とはいえ、次となったらいつになるやら。ここは登らないわけにはいかないでしょう。
(公園化され、舗装された散歩道がある山で何を言ってるやらという感じではあるのですが)
登ってみると、雨の中ではありましたが意外と観光客が多いことに驚いて。「誰もいない城山公園」なんていう光景は無数に目にしているのですが、ここでは人が入らないように写真を撮るのが大変なくらい。越前大野という町自体が観光客を集めているのか、はたまた越前大野城が人を呼んでいるのでしょうか。

<2018.5.22記>
2度目の越前大野城も雨、でした。そもそも雨だから越前大野城に来たのではありますが。晴れていれば一乗山城に登れるはずだったのに。。
折しも「さくらまつり」の真っ最中で、城内は桜が真っ盛り。とはいうものの、何しろ生憎のお天気なので、写真は冴えないものばかり。
城下も散策しましょうということで、朝倉義景の墓と伝わる墓標も見学してきました。墓標そのものは後世のもののようですが、それでも越前の雄・朝倉氏がここ大野の地で滅亡したことを心に刻むには十分すぎる存在感でした。雨の中、墓標の周囲をはらはらと舞い散る、桜の花びら。滅び去ったものを偲ぶには格好のシチュエーションでした。
Data
ランク 続100名城、100選
天守(模擬)、門(模擬)、石垣、堀
創築:天正3(1575)年、金森長近
金森氏、松平(越前)氏、土井氏(大野藩、40000石)
越前大野城の周辺には3ヶ所ほど駐車場があり、それぞれの駐車場から登城路がついていますが、現在のメインはお城の南東側にある「越前おおの結ステーション」。ここの駐車場が一番大きくて、城下散策にも便利です。

越前大野城フォトギャラリー





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