湯築城
ゆづきじょう


所在地:愛媛県松山市道後公園
最終更新日:2019.1.23

   
<2011.10.1記(2019.1.23加筆修正)>
中学時代、伊予松山城を訪ねた際のこと。「周遊券にはどこか一ヶ所、指定周遊区間内での私鉄の切符が必要」といったような事情で旅行会社に用意してもらった周遊券には、松山市内の路面電車の切符がセットになっていました。行き先は「道後温泉」。松山市内の地図を見ると、道後温泉の駅の脇には何やら堀で囲まれた空間が。「これはなんですか?」と松山駅の駅員さんに訪ねると、
「ああ、動物園ですね。」
とのこと。「城じゃないんですか?」との問いには、
「城はここじゃないです。道後温泉には城はありませんよ。」
と。
なんだか軽くあしらわれたような印象を持ち、首を傾げながらも道後温泉には立ち寄らず、その分の時間をじっくりと松山城見物に費やすことにしました。
それから20年あまりもの年月が経過し、道後温泉の脇にあった「堀で囲まれた動物園」は、「100名城・湯築城」に生まれ変わりました。中学時代の私がこれを聞いたら、「ほらみろ!」と叫んだことでしょう。
湯築城は14世紀以降に伊予国守護として、また水軍の長としてこの地に君臨した河野氏の本拠地です。道後温泉にほど近い小山を二重の堀と土塁で囲んだ城館で、二重堀の中には家臣団の屋敷が立ち並んでいました。それらの屋敷跡は平成になって丁寧に発掘され、一部は復元保存されて湯築城資料館とともに一般公開されています。お城としては豊臣秀吉の天下統一の過程で廃城となり、伊予の地に入った加藤嘉明は早々に湯築城を捨て、松山城を築く道を選びましたので、湯築城には中世城館としての遺構がそのまま残され、しかも堀を含めて驚くほど良好に残されることとなりました。県庁所在地である地方都市にあって、松山城と湯築城という二つの広域支配拠点城郭がほぼ完全に残されたという事実は、驚き以外の何物でもありません。晴れて揃って日本100名城の仲間入りも果たしたのも納得です。同一市内にふたつの100名城・・・なんとも贅沢で羨ましいお話です。
ランク 国史跡、100名城、愛媛県4位
屋敷(復元)、土塁、堀
創築:14世紀、河野氏
河野氏
アクセス   探すまでもなく、道後温泉駅前の公園が湯築城です。専用駐車場もありますので、鉄道でも車でも便利です。100名城スタンプは湯築城の資料館にあります。道後温泉にお泊り後、チェックアウトして最初に訪ねるのも効率的です。


湯築城フォトギャラリー





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