湯築城
ゆづきじょう

(愛媛県松山市)
最終更新日:2011.10.1

地図

<2011.10.1記>
中学時代、伊予松山城を訪ねた際のこと。「周遊券にはどこか一ヶ所、指定周遊区間内での私鉄の切符が必要」といったような理由のもと、旅行会社に用意してもらった周遊券には、松山市内の路面電車の切符がセットになっていました。行き先は「道後温泉」。松山市内の地図を見ると、道後温泉の駅の脇には何やら堀で囲まれた空間が。「これはなんですか?」と松山駅の駅員さんに訪ねると、
「ああ、動物園ですね。」
とのこと。「城じゃないんですか?」との問いには、
「城はここじゃないです。道後温泉には城はありませんよ。」
と。なんだか軽くあしらわれたような印象を持ち、首を傾げながらも道後温泉には立ち寄らず、その分の時間をじっくりと松山城見物に費やして、松山をあとにしたのでした。
それから20年あまりもの年月が経過し、道後温泉の脇にあった「堀で囲まれた動物園」は、見事「100名城・湯築城」として世の中に知られることとなりました。中学時代の私がこれを聞いたら、「ほらみろ!」と叫んだことでしょう。
それから更に数年が経ち、家族で道後温泉を訪ねる機会が到来し、最終日の朝一番、スタンプ帳を抱えて湯築城にも訪れました。松山市の地図で初めて湯築城を見つけてから、初めて湯築城を訪ねるまでに、実に25年近くの歳月をかけたことになります。
Data
ランク 「100名城」「愛媛県4位」
土塁、堀
創築:14世紀、河野氏
河野氏
14世紀以降、伊予国守護として、また水軍の長としてこの地に君臨した河野氏の本拠地です。道後温泉にほど近い小山を中心に二重の堀と土塁で囲まれた中世城館で、二重堀の中には家臣団の屋敷が立ち並んでいました。それらの屋敷跡は平成になって丁寧に発掘され、一部は復元保存されて湯築城資料館とともに一般公開されています。お城としては豊臣秀吉の天下統一の過程で廃城となり、伊予の地に入った大名は早々に湯築城を捨て、やがて松山城を築いてそちらに移っていくことになりましたので、湯築城には中世城館としての遺構がそのまま残され、しかも堀を含めて驚くほど良好に残されることとなりました。県庁所在地である地方都市にあって、松山城の他に湯築城もほぼ完全に残されたことには、驚くほかございません。貴重な城館として、晴れて日本100名城の仲間入りも果たしています。同じ100名城の松山城との距離は、安土城と観音寺城、甲府城と躑躅が崎館に次いで、3番目に近いのではないかと思います。同一市内にふたつの100名城・・・なんとも贅沢で羨ましいお話です。





inserted by FC2 system