宇和島城
うわじまじょう

(愛媛県宇和島市)
最終更新日:2013.11.13

地図

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<2013.11.13記>
中学時代に訪れた際には天守以外のものに目が行かず、お城っぽくない(と思った)切石積みの天守台の上にこじんまりと建つ天守を眼前にして、中に入ることなく引き返したものでした。確か丸亀城の天守にも入らずに引き返した記憶がありますので、思えばあの時代、ずいぶんとさばさばしていたものです。
時は流れて改めて宇和島城に行く機会を得てみれば、そこはもうめくるめく世界。天守に辿り着く前に石垣の迫力にやられ、立ち止まっては写真を撮っての繰り返しで、ちっとも天守に近づけませんでした。宇和島城って、こんなに見る場所が多かったんですね。
宇和島城と言えば五角形の堀。堀自体はすっかり埋め立てられてしまいましたが、駐車場がすぐに見つからなかった関係で、お城の外周を2周ばかりぐるぐる回る羽目になりました。おかげで存分に五角形を味わうことができたわけですが。
もう一つ。宇和島と言えば「鯛めし」ということで、お城仲間お勧めの店で鯛めしも堪能しましたが、ここで不思議な体験に出くわします。宇和島に辿り着いた時には結構激しい雨が降っていたのですが、鯛めしを食べ終え、店を出た時には青空が広がっていたのです。あまりの天気の移り変わりに、もしや竜神様でも下りてきたのではないかと噂しながら、宇和島城に向かったのでありました。
Data
ランク 「100名城」「100選」「百選」「こんな城」「愛媛県4位」
天守(現存)、門(現存)、石垣
創築:天慶4(941)年、橘遠保 改築:慶長元(1596)年、藤堂高虎
西園寺氏、小早川氏、藤堂氏、富田氏、伊達氏(宇和島藩、100000石)
藤堂高虎の縄張りで有名な宇和島城ですが、板島と呼ばれて本当に島だった時代からここにはお城があって、なんと10世紀には何らかの施設があったらしいという、恐ろしく歴史の長いお城です。が、まあそのあたりは置いておき、藤堂高虎のあたりから語りましょう。
藤堂高虎が宇和島城の築城に着手したのが慶長元(1596)年、完成したのが慶長6(1601)年のことです。既に今治に栄転していた高虎は宇和島城の完成を見届けると、今治で次なる築城に取り掛かります。藤堂高虎、お城ばっかり作っています。さすがです。
宇和島城の特徴は、岩盤を利用した天守台と精巧な石垣、それに五角形の縄張りにあります。攻め手には四角形に誤認されることで、攻め手と相対しない一角に活路を見出す・・・と言われるのですが、その理屈は実のところよくわかりません。天守台は高虎の頃にはただの岩盤だったと言われ、岩盤の上に今とは全く違った形の天守が直接建てられていたそうです。今の天守は寛文11(1671)年に「改築」されたものですが、天守台の石垣から作り直すという正真正銘の「新築」でした。
宇和島城は宇和島藩の藩庁として明治時代まで存続します。宇和島藩は藤堂氏の後、富田氏を経て伊達氏へと受け継がれます。宇和島伊達藩の初代・伊達秀宗は伊達政宗の長男(庶子)で、いろいろ事情があって仙台からわざわざ宇和島まで移動してきたもののようです。オール伊達家として見れば、10万石がまるまる加増されたわけですし、文句もなかったのだと思いますが。
明治になって、大手門と天守以外のめぼしい建物は取り壊されました。大手門は結構立派なものでしたが、惜しくも太平洋戦争で焼かれます。考えてみると伊達氏のお城は仙台城でも宇和島城でも大手門を戦災で失っているわけで、このあたりは奇妙な共通点と言えるかもしれません。
宇和島城自慢の石垣は、2011年の台風で一部が崩壊しました。修復には時間を要しているようですが、いずれ必ず修復されることでしょう。





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