西条陣屋
さいじょうじんや

(愛媛県西条市)
最終更新日:2017.1.31

地図

西条陣屋フォトギャラリーはこちら

<2017.1.31記>
傘をさすかどうかが微妙なくらいの小雨が降る中、西条陣屋へとやってきました。陣屋の堀は下手なお城の堀よりも広く、まるごと高校の敷地になっている陣屋の面積そのものも大変大きくて、陣屋の範疇に収めるには勿体ないくらいの規模感です。堀の水も綺麗ですし。高校なので観光資源にならないのがもったいないくらい。
陣屋門の前まで来たら、傘が必要かどうかの瀬戸際くらいの雨の中、傘を差す女性と、女性から1mくらい離れたところを歩く男性の姿が目に入りました。控え目ながらも男性を気遣って傘を差す出す女性と、その傘を遠慮して傘の外側を歩く男性。この絶妙な距離感が妙にくすぐったくて、二人の姿が資料館に消えていくまで思わず見送ってしまいました。
Data
ランク 「愛媛県9位」
門(現存)、土塁、堀
創築:寛永13(1636)年、一柳直重
一柳氏、松平(紀州)氏(西条藩、30000石)
外様大名・一柳直盛が伊勢神戸藩から加増されて西条に入りました。一柳氏は豊臣秀吉の下で着実に戦功を重ね、小田原の役の際には山中城攻めで直盛の兄・一柳直末が戦死するなど、精一杯の活躍を見せた一族です。江戸時代の早い段階で大名家としての一柳家は三家に分かれ、嫡流は断絶しますが二藩はそのまま明治まで存続します。西条陣屋はその本家筋に当たる家系の陣屋として、直盛の子・直重によって寛永13(1626)年頃に築かれました。一柳本家が断絶した後、西条は暫く天領となっていましたが、寛文10(1670)年に紀州徳川氏系の松平氏が3万石で西条藩を再興し、明治まで松平氏の陣屋として存続しました。ただ松平氏はいわゆる江戸定府大名で、西条陣屋に居住することはなかったそうですが。
西条陣屋は現在西条高校の敷地となっていますが、西条高校の正門は旧陣屋の大手門をそのまま使用しており、大手門は原位置から動いていないそうです。現存建造物としては陣屋内で移築保存されている北御門の他、陣屋外に移築された門が二棟ほどあるそうです。また、陣屋にしては広すぎるほどの水堀も健在です。





inserted by FC2 system